2007年12月のアーカイブ

一里塚の内容は

いよいよ2007年もあと数時間で終わり、2008年を迎えるころとなりました。「元旦や 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」と歌われます。

 私たちの群から一人の姉妹を御国へと、この27日にお送りしました。阪神大震災後、鳥取におられたのですが、そこで92歳で天国にいかれました。その葬儀を鳥取の教会をお借りして、行う事ができました。その教会の先生にはたいへん御世話になりました。

 主日礼拝と新年礼拝などを控えて慌しいことでしたが、でも、本当に召された姉妹が主に忠実に生きてこられた、それが証しされるような葬儀であったと思います。その方は、以前、ある大学の女子寮の舎監を10年間ほど務めておられました。よく学生の面倒を見られました。相談にのられたり指導されたり、熱心にまた誠実に関わってこられました。ですから今なお卒業生たちが、この姉妹を慕っておられて、関西からこの葬儀のため来られ、前夜式と告別式の両方に出てくださいました。あるいは昔お世話になったということで、ある牧師も主日礼拝があるというのに、関西から鳥取まで二日間にわたって来てくださいました。それだけでもその人柄がうかがわれます。

 この方は、早くご主人を亡くされて、たいへん苦労されましたが、その信仰の姿勢は「誰でも幼子のように信じなければ、神の国に入る事は出来ない」と主は言われましたが、まさにそのような信仰であったと思います。息子さんのお話しで、朝、目が覚めると、母親が、芋虫のようにくるまって祈っていたというのです。あるいは、卒業生の話しでは、前掛けをして祈られるわけですが、膝のあたりを擦りながら祈るので、前掛けの布が、その分部だけ薄くなっている、というのです。この祈りの姿勢が、困難の多い人生あったと思いますが、その信仰の生涯を全うさせたと思います。

 同じ旅人の一人であるパウロは下記のように語っています。 
テモテⅡ 4章7節~8節
「私は戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守りぬきました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれを私に授けてくださるのです。しかし、私だけでなく、主がこられるのをひたすら待ち望む人には、誰にでも授けてくださいます」。
何か自慢げに聞える言葉ですが、パウロには自分の誉れを求める思いはないでしょう。しかし彼の歩いた距離というのは規格外と言っていいでしょう。その旅の危険、どれだけ多くの艱難に出会ったかについては彼の手紙の中で述べられています
コリントⅡ 11章26節~27節
「しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難にあい、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え乾き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました」。
ともかくもその距離をこなせたのは恵みだということです。その旅の中でパウロは、口にしたのかも知れない祈りの言葉、「私の助けはどこからくるのか」(詩編121編)。まさにこの祈りなくして、パウロの伝道の旅は、全うされなかったといえるかも知れません。

 このパウロの生き様と、何かこの姉妹の生き方が重なるところがあるように思えて仕方がありません。ともかくも大きな証しを立ててこられました。まさに使命を与えられた生涯であったと思います。

 私は前夜式と告別式の二回の説教をしましたが、息子さんやお借りした教会の牧師婦人から、「いいメッセージでした」と言っていただきました。おせいじでもなさそうでしたが、もしそうだとしますと、この召された方の生き様が主に忠実であったからだと思います。それによると思います。新しい年を迎えて、何か一里塚かも知れませんが、使命を与えられて主に仕える一年は、意味のある、そして新しい命に繋がる、素晴らしくて喜ばしい一年ではないかと思います。

投稿者: 日時: 21:19 |

来年は鼠年

 今日は、待降節第四主日の礼拝です。いわゆるクリスマス礼拝として守る日です。その今日の夜にクリスマス祝会を私たちの教会では行います。地域の人々や以前礼拝に来られたことのある方々をお招きしているのだが、果たしてどれだけの方々が来られるのだろうか。楽しみでもありますが、気になるところです。少ないよりも多いほうがいい。一人でも多くの方々に福音に触れて欲しい、教会の門を通って欲しいと願うのがキリスト者として素直な気持である。そのために準備もし、チラシも配布や郵送をしたのです。後は神様に委ねる以外にありません。

 しかし、このクリスマスの時期は、牧師として既に頭の中を支配しているのは来年の事です。といっても、私たちの教会に与えられている賜物に応じてしか活動ができないし、それで善しとなければならない。牧師が言うのもおかしいのだが、来年は「鼠」年です。ある偉い僧侶が今年の言葉として「偽」という漢字を選んだそうですが、ネズミといえば「ねずみこう」というのがありました。親が子、子が孫をというように、それこそ「鼠算式」に金が増えていく。そんな話に、ありもしないのに欲が絡んで乗ってしまいます。

 増えて欲しいと願うのは教会も同じかも知れません。一月ごとに鼠算式に増えていけば、さて、2008年の終わりには教会の礼拝にはどれぐらいの人が集っているのか。おそらく何億、何百億になるかも知れません。しかしそうはいきません。日本の宣教が始まって、キリシタン時代も入れると何百年となるが、いまだに礼拝の出席人数は1パーセントをこえられない。怠けているわけではない。教会は一所懸命に宣教に励んできたのですが、それが許されなかったのです。「信徒の友」にそのことについて、ある牧師が、数よりもキリスト者の存在のあり方が問われているのではないかと書いていました。確かに数だけが神様の祝福ではないと思います。

 だがどうでしょうか。社会の中で、ある影響力をもつためには数も必要ではないかと思いますし、教会にある程度の会員がおられなければ経済的にもたちゆかなくなります。そのしわ寄せは牧師にいくでしょう。そのへんの大変さは、私は議長もしてきたので分るつもりです。しかし、確かに数に捕らわれていては、働きそのものがしんどくなります。やはり神様に委ね、まず感謝から始めるのが肝要だと思います。ともかくも、このような小さき者が神様の働きの一端を担わされているのですから。これは恵みです。誇りとしなければならないことです。

 さて、来年も、結果は神様にお任せして、ネズミではないですが、ちなみに私は「虎」年ですが。精一杯、福音を携えて走りまわりましょうか。年に応じてですが。あの人が、この人が洗礼を受けないか・・・・と祈りつつ。

投稿者: 日時: 00:09 |

戦い生きる人の姿

今、スポーツの世界が元気だ。「浦和レッズ」がクラブチームの世界大会で第三位に輝いた。公式戦でヨーロッパチャンピョン「ACミラン」と戦うまでになったのですから。確かに見ていて点差(1-0)以上の実力の差があることは、素人の私の目にもわかるほどですが、しかし一つの大きな目標が日本のサッカー界に与えられたことは確かです。

 また「星野ジャパン」が北京オリンピック出場のキップを手にした。「金メダル以外はいらない」と星野氏が言ったとか。そもそもオリンピックで野球が行われるようになった最初の大会で日本がキンメダルをとっている。それ以後、プロが参加できるようになりましたが、金メダルは取れていない。星野氏の思いの中に、この北京大会で野球がオリンピックの競技から外れる事になり、野球としては最後の大会となるので、やはり金メダルを日本がとって、終わりたいという思いがあるのかも知れません。

 サッカーにしろ野球にしろ、日本の選手が世界や大リーガーで活躍するようになってきました。徐々にその力をつけてきています。しかし、今、その大リーガーが選手の薬物使用で揺れています。日本で活躍している選手の名前も挙げられています。はたしてどうなっていくのか。

 サッカーの選手ちとしての寿命は短い。まだ野球の方が少し長いかも知れませんが、ともかくも40歳は厳しい年齢になります。肉体の衰え、寿命が短い。そんな中で少しでもよい成績を、よい結果を残しておきたい。それが彼らの生活に直結していきます。そりゃあ、松井が年俸15億円、イチローが年俸11億円、松阪が年俸10億円と言われていますが、それだけ稼げたら心配は要らないでしょうが。いや、金だけの問題ではない。選手としたて世に出た以上、結果を残し、名を残し、殿堂入りしたいと願うのは当然です。そのために体を鍛えなければ、その効果をあげるために・・・・、ということになるのでしょうか。

 ヘミングウェイの「老人と海」の中の一節に、「昼過ぎ、一団の旅行者がテレイス軒に寄った。すると、ビールの空鑵や死んだ魳のちらばっている水面をみおろしていたひとりの女が、そこに大きな尻尾をつけた巨大な白骨を認めた。尻尾がぐらりと動く。港の入り口のそとで、東の風がうねるような大波を吹き送ったのだ。・・・・道のむこうの小屋では、老人が再び眠りに落ちていた。依然としてうつ伏せのままだ。少年が傍らに座って、その寝顔をじっと見守っている。老人はライオンの夢を見ていた」とあります。ヘミングウェイは、戦い生き抜く人間の姿を描いています。老人は戦い抜いて、敗北し、今、ライオンの夢、英雄の夢を見ています。

 「風は南に向かい北へ巡る、めぐり巡って吹き、風はただ巡りつつ、吹き続ける」
                     コヘレトの言葉1章6節

コヘレトの言葉は「日は昇り、日は沈み、あえぎ戻り、また昇る」とも語ります。この太陽の下、風が巡り続けるように、人間の戦い抜く生き方は続けられていきます。創世記32章に、神の使いと夜通し戦い、傷ついてもさらに前進しようとするヤコブの姿があります。このヤコブの血は今も人間の中に流れていますが、その彼の晩年の言葉、「私の旅路の年月は130年です。私の生涯の年月は短く、苦しみ多く、私の先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません」。そしてヤコブは、何も持たないで神の約束の地であるカナンに葬られるのです。そこがヤコブの安住の地でありました。

 人生、様々であるが、自然体のままで戦うことでいいのではないかと思います。

投稿者: 日時: 18:40 |

宣教と侵略

 ペルー・ボリビアの旅行についての三回目の話しになりますが、私の行った町は当然限られていますので、何が言えるのかと思いますが、私たちがリマで泊まったホテルの周辺の町並みと、ボリビアのコチャバンバという町で泊まったホテルの周辺の町並みやバスから見えてくる町並みなどを比べて見ますと、ペルーの町並みとボリビアの町並みとの間に大きな文化的な違いというものをあまり感じませんでした。町並みだけを見て、どちらがペルー? ボリビア・と聞かれても、私には答えられないように思います。どちらの国も国語がスペイン語で、文化圏として似ているのではないかと思います。

 ペルーで博物館を見学したが、古代においてインカ帝国に代表されるように、ペルーは高い文化をもっていた。それは展示されていた土器や織物を見ればよくわかります。今回の旅行はほとんど観光というものはありませんでしたが、よく知られているアスカの地上絵などは、高度な知識がなければあのような精密な絵は描かれないでしょう。しかしそれがスペインによって滅ぼされてしまった。そして言語も変えられスペイン語が公用語とされて久しいわけです。私は今回の旅行でペルーに関して感じたことは、文化の積み重ねがない、いや、断たれてしまったということです。古代において優れた文化を築いてきた、その名残というものを、確かに短く、サッと通り過ぎた者が何を言うかですが、感じなかったのです。

 リマで聖フランシスコ教会を見学しました。カトリックの反宗教改革運動によって南米の宣教がなされ、16世紀頃に建てられた教会のようで、文化財的にも貴重な教会のようです。何万冊という16、17世紀前後の本が保存され、今日も研究のために活用されているようです。また地下には墓があり、何万体かの人々が葬られ、今日ではそれが考古学者たちによって発掘されています。それらを見てきたわけです。またその教会には貴重な絵画も保存されています。そこで面白い絵画を見ました。ペルー人によって書かれた最後の晩餐の絵です。そこに登場するイエスや弟子たちが食している食べ物は、ペルーの食べ物です。その絵に見えてくるのは、確かに今までのペルーの文化が否定さ、ヨーロッパの文化を植え付けられるという宣教方法が取られ、またそれが定着してきました。しかしヨーロッパの文化をそのまま受け入れるのではなくて、そうした中にありましても、ペルーなりのキリスト教文化を築こうとする姿勢を、その絵の中に読み取ることが出来ました。

 この聖フランシスコ教会を見て、当時のスペインの宣教師たちがどのような宣教方法を取ったのかということがよく見えてきます。ヨーロッパのものをそのままここにもってきたという感じである。また宣教師たちがペルーの文化をどのように評価したということもよく見えてきます。福音を伝えるという聖書から言えば愛の行為であるが、しかしそれを実行する者が、上から見下ろすような姿勢で異なる文化の人々に福音を伝えていくとき、そこに悲劇を生んでしまう。確かに植民地を開拓していくという国家の思惑がそこにあったとはいえ、宣教に携わる者の姿勢が大きかったと思う。それは今日も福音のために遣わされていく者に対してある示唆を与えているように思います。

投稿者: 日時: 15:49 |