2007年11月のアーカイブ

余白のある人生を

 ペルーで作り物の2mほどのツリーの木が550ソーレ程で売られていた。3ソーレが1米ドルですので、およそ183ドルで円にすると二万円程度です。日本よりは安いといえます。しかしその店で新作のチョコレートというのを買った。一袋が円で二千円ほどで少し高いと思った。ですからペルーの人からすると50ソーレ程になり高い買い物になる。ボリビアでは、7ボリビアーノが1ドルに相当するので、さらに安い買い物が出来る。今回の旅でのお土産は多くはボリビアで買った。行きしなは頼まれた荷物もあったので、行きも帰りもトランクは一杯であった。

 そう、トランクといえば、成田から出発したのだが、搭乗手続きをする時に、重量オーバーということで三千円超過料金を取られた。機内持込のバックに移してもよかったのだが、人前でトランクをあける気にもならなかったので払う事にした。しかし同じように帰りも行きと同じように頼まれた荷物があって、やはりかなり重量オーバーになった。しかしリマからロスに向かう飛行機に乗る時は、それが何の問題にもならなかった。ロスで乗換えの手続きの時も同じであった。正直いって助かった。日本人が几帳面だから文字通りのことを行うのか。ペルーの人は性格がおおらかだから、多少のことは気にしないのだろうか。

 ボリビアでキリスト教系のNGOの事務所を訪ねた。仕事前の朝の礼拝から私たちはその事務所に行った。礼拝が始まり、しばらくしてから徐々に集まってくる人々がいた。おそらく日本ではこんなことはないだろう。もしそんなことをしていたら、その人の信仰姿勢が問われかねない。

 この今回の旅行のお土産は「インディアンマーケット」というところで買った。小さな店がたくさん集まっていて、入り組んで品物に気を取られて店を回っていたら自分が入ってきたところがわからなくなり、自分が今どこにいるのか、位置がつかめなくなってしまう。要するに迷子になってしまうほどであったが、ともかくも一通り店を見て回らなければならない。なぜかというと、同じ品物でも店によって値段が違うのである。安いところを見つけてかうのである。しかし言葉が通じないので、一つのものを買うにしても大変である。本人の交渉次第で値段は更に変わる。多くの品物に値段の表示がないのである。

 スペイン語の別れの挨拶に「アスタ マニャナ」(また明日)というのがありますが、「明日間に合えばいい」そんな性格だと悪口を言う人もいますが、まあ、確かにそんな面があるかも知れません。しかしそれが一概に否定的な面として言えるのかどうか、私には疑問に感じます。時間に追われるようにして生きてきた日本人、「時間を守る」ということを優先するがゆえに起こした事故もある。どこか私たちにも「アスタ マニャナ」と挨拶できる心のゆとり、優柔不断ではなく、無責任でもなく、しかし余白のある人生を送りたいものです。

投稿者: 日時: 08:53 |

変化をしていく中で

私は二週間ほど教会をあけていましたので、コラムを書くことが出来ませんでした。それは私たちの教会の中から、一人の女性がペルーのプカルパという町から車で30分のところにある、ロス・プロセレスという村で支援活動をしておられたので、そこを訪ねてきました。その村は、テロリストなどから逃げてきた人々によって自然に形成された村であります。ですから劣悪な状況の中にありましたが、彼女たちのような人々の活動を通して、彼らが自分たちの村を自分たちの手で作り上げていこうという気持ちを起こさせ、学校など様々な施設ができてきました。その様子を見てきたのですが、その働きはとても大きいものがありました。

 ペルーには「モトカー」と呼ばれるタクシーのような車があります。オートバイに人が二人ほど乗れる荷台をつけているのです。それがたくさんプカルパには走っています。「パッパー」と鳴らして朝早くから、夜遅くまで走っていて、私はその音で寝付かれませんでした。

 今回の旅行の帰りに、あるスーパーに立ち寄り、おもちゃ売り場で「モトカー」のミニカーはないかと捜しましたがありませんでした。私と一緒に店の中を見て歩いていたその方が、「モトカーは子供たちの夢にはならないでしょう」といわれました。確かに、そこに売られていたミニカーは、日本で売られているミニカーと変わらず、多くはスポーツカーのような高級車であり、またトラックなどの大きな車であります。

 「オールウエーズ」という映画がありますが、何か昭和の30代を思わせる懐かしい思いを与えてくれる映画です。ミゼット、三輪車が走っていた時代です。そうそうペルーだったか、ボリビアだったか忘れましたが、その懐かしいミゼットが走っていたのです。それには驚きました。

 ペルーの子供たちが、スポーツカーなど、そのような車に憧れ、それを実現していったとき。自分たちの目の前から、もし「モトカー」がなくなっている時代を迎えていたとしたら、年を重ねる中で、私たちがミゼットを懐かしく思うように、「モトカー」を懐かしく思い起すのかも知れません。古きよき時代として思い起すのかも知れません。

 今回の旅行でボリビアのチャヤという標高4,500mのところに住んでいる人々の村を訪ねました。現在は、そこには電気は来ていないのですが、しかしまもなく電気が来るようで、電信柱が置いてありました。電気が通ると彼らの生活は一変するでしょう。確かに必要なことです。そうすれば暖かいシャワーを浴びる事が出来、体を清潔にする事が出来ます。しかしそれと同時に、逆にその便利さに振り回され、生活を乱していくということも起こるかもしれません。それだけ人の心が便利さに振り回されない、自分たちの生活を保って行く心が育てられることが大切なのように思われます。

 私たちが昔のことを懐かしむことの中に、どこかに失ってきたものに対する思い、単なる物質的な物の変化、消えていった物に対する思いだけではなく、心の中の変化、失われてきたものにたいする思いがあるのではないでしようか。物質的な世界が変わっていっても変わることのないもの、聖書の言葉に心が養われていくことが、変わっていく世界に生きている私たちには大切なことのように思われます。

投稿者: 日時: 13:25 |