2010年04月のアーカイブ

明日につなげる

 今年は“平城遷都1,300年”ということで11月まで様々な行事が奈良で行われます。朱雀門も復元されて、その門の前での衛兵の交代など、当時の様子も再現されているようです。最近、“歴女”という言葉を聞きますが、歴史が女性の間で人気のようですが、多くの女性が訪れるのではないかと思います。

 平城京についてあまり知りませんが、シルクロードの終着点ということでたいへんな国際都市だったようです。人口がおよそ10万人、そのうちの四割ほどが外国人だったといいます。たいへん活気のある町だったようですね。しかし、常に水不足で悩まされたようです。水で汚物を流すように工夫されていたそうですが、その水不足で、町の中に汚物が溜まり、衛生的には極めて大きな問題を抱えていたようです。ヨーロッパの中世では赤痢などが流行したりしていましたが。確かに、危機的な状況だったと思います。災害にあったときなど、一番困るのが飲み水と下水の処理ですね。そうでないと病気が流行り、町は衰退してしまいます。

 歴史というのは本当に学ぶことが多いと思います。例えば、リーダーシップや会社経営という視点から戦国時代の武将たちについて書物が書かれたりして、そこから今の私たちが知恵を得ようとしていることも見られます。歴史をどう見るのか、見る角度によって色んな姿を見せてくれます。

 旧約聖書にソロモンという人が登場してきます。彼はイスラエルの王様ですが、首都のエルサレムに神殿を建てた人です。今は現存していませんが。それを建てたとき、旧約聖書はこう書いています。「ソロモン王が主の神殿の建築に着手したのは、イスラエル人がエジプトの地を出てから四百八十年目、ソロモンがイスラエルの王になってから四年目のジウの月、すなわち第二の月であった。」とです。この聖書の著者は、昔、自分たちの先祖がエジプトで奴隷とされていたが、そこから神様の憐れみによって脱出することができた、その故事を振り返り、そこから何年目に建てたと数えているのです。ですから著者にとってそれは単なる故事ではなかったのです。

 ソロモンは神殿を建てて祈っています。その祈りの中でも何度も“出エジプト”の出来事に言及しているのです。
例えば、
 「箱の中には石の板二枚のほか何もなかった。この石の板は、主がエジプトの地から出たイスラエル人と契約を結ばれたとき、ホレブでモーセがそこに納めたものである。」
「『わが民イスラエルをエジプトから導き出した日からこのかた、わたしの名を置く家を建てるために、わたしはイスラエルのいかなる部族の町も選ばなかった。わたしはただダビデを選び、わが民イスラエルの上に立てた』と。」
 「またわたしは、そこに主との契約を納めた箱のために場所を設けた。その契約は、主がわたしたちの先祖をエジプトの地から導き出されたときに、彼らと結ばれたものである。」
このようにソロモンの祈りの中の言葉を幾つか拾ってみましたが、エジプトを出たという故事に立ち返っています。

 ソロモンからずーっと昔の話です。しかしその出来事はソロモンからすると彼自身の原点でもあったのでしょう。信仰者として、イスラエル人としての原点であったのでしょう。そのように単なる故事として終わってしまうのではなくて、“面白いな”で終わってしまうのではなくて、ソロモンにとって故事が、明日という日につながっているのです。なぜならそこに神様の介在を読み取っているからです。

 それこそ私たちは毎週のように聖書を通して、昔、昔の出来事を振り返っています。まして私たちとは直接関係のない異国の話です。でも、聖書を知れば知るほどここに書かれている歴史が、私たち全人類に関わる問題であることがわかってきます。それも単なる昔話、おとぎ話ではなく、今の私たちの現実、そして明日の私たちへの深いメッセージが込められていることが見えてくるのです。聖書の歴史は私たちを明日へとつなげていく歴史物語なのです。

 なぜなら歴史は単なる偶然の連続とは、聖書は見ていないからです。聖書を通して世界の流れをちょっとちがった角度から見る目が与えられます。歴史の中に今まで見えなかったものがひょっとして見えてくるかも知れません。

投稿者: 日時: 17:50 |

“彬”という漢字に触れて

 人の名前はというのはなかなか面白い。俳優の‘なかお あきら’の‘あきら’というのはどのような漢字を書くかというと‘彬’と書きます。この漢字は美しい字だと思います。どんな言葉に使われているかといいますと、たとえば、‘彬蔚’(ひんうつ)と読みますが、‘美しく奥深い’という意味です。こんなところに使われています。この‘彬’を漢和辞典で調べてみますと、‘飾りと内容とが共に並び備わるさま’と説明していました。内と外とが一致して美しいということでしょう。この名前を持つ人は素晴らしいでしょうね。

 ある雑誌に載っていた記事ですが、‘ドイツ福音教会’という団体の新しい議長に女性の方が選ばれたのですが、すぐに辞任してしまいました。なかなかの論客で、政権に対しても厳しく批判を展開していました。政府を批判したから辞めさせられたのではなくて、飲酒運転と信号無視で受難節に逮捕されてしまったのです。詳しいことはわかりませんが、どうもお粗末としか言いようがないですね。そのために州の監督までも辞任せざるを得なくなりました。残念ですね。でも責任の取り方は早かった、ということで身の処し方は知っておられる。

 おそらくストレスが溜まっていたのでしょう。でも、自ら御言葉を語るものとして、その御言葉に生きることを忘れてはいけないでしょう。本当に内と外の一致というのは難しいけれども、でも、ここにもイエスの赦しがある。それを覚えて再出発をしてほしいものです。恵みにこたえる、そこで内と外の一致する道があるようにも思えます。

 こんな不一致といったらいいのでしょうか、こんな‘見かけによらない’というのはいいですね。米国のミネソタ州南部の田舎の教会。150年ほど前に、ノルウェーからの移民たちによって建てられた教会です。古い会堂で何の設備もありません。車椅子の人は、みんなで‘よいしょよいしょ’といって担ぎあげなければなりません。日本では、そんな時、車椅子に座っている人は恐縮してしまうのですが、その米国人は、最後まで‘嬉々’として担われているというのです。何かスカッとしたものを感じると言います。

 こんな建物は障害者に対して配慮がないと言われそうですが、しかし、実はそこには暖かい人の交わりがあるのです。貧しい施設をカバーしても余りある人の温かさがあります。こんな違いはホッとしますね。

 さて、私たちが‘彬’という名に相応しい者なのか。そう、よくキリスト者は証しを立てなければならないと言われます。要するに‘外見’が問われるわけですが、先ほどのミネソタの教会ではないですが、内側がキリストの愛で満ちているか、ということでしょう。おのずとして見えてくるものです。‘キリスト者として何かをしなければ’というのではなくて、一人の人間として、一人の市民として、その地域の中で、自分の出来ることを果たしていく、それが大事だと思います。

 私はもそんな思いで、出来る範囲でさせていただいています。

投稿者: 日時: 16:24 |

人生を楽しく

 一年に一度のボウリング大会を今年も行いました。“東鳴尾ルーテル教会杯争奪戦”ということで10名の方々が参加をしました。ちなみに今回は大学Ⅰ年生の女性が優勝しました。当然と言えばおかしいかもしれませんが、ハンディーをつけてのことです。つけたハンディーは適当ですけれども、とにかく当然優勝する人が優勝しなかったのが良かったと言えます。そうでないと、誰でも優勝できる可能性がある、ということがなければ、参加していても面白みがないでしょう。そう、当たり前、常識が常に正しいとは限らないものです。

 ケームを楽しませてもらったのですが、それは本気で勝ちに行きましたから楽しかったといえます。ボウルを一回一回丁寧に細心の注意を払って投げました。しかしなかなか思うようなところには行ってくれません。でも、それが面白いのです。

 聖書も読んでいて人間の理屈ではどうしても理解できないところがあります。‘聖書’という‘ボウル’は変化球ですので、一球一球を細心の注意を払って、‘信じる’という細心の注意を払って読んでみると、その面白さが見えてくるのです。

 イエスがエルサレムの町に子ロバに乗って入城されようとしていた時の話です。下記は新約聖書のルカ福音書19章からの御言葉です。
「『オリーブ畑』と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベタニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。『向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。もし、だれかが、‘なぜほどくのか’と尋ねたら、‘主がお入り用なのです’と言いなさい。』 使いに出された者たちが出かけて行くと、言われたとおりであった。」
 
 イエスの千里眼、超自然的な予知の力を示す出来事です。でも、今の人間は、どうしても科学的に、合理的に物事を考えようとします。ですから、これは必ずしもイエスの千里眼の証拠ではなく、イエスが弟子たちの知らない間に、予めてはずを整えていたのではないか、という考え方をします。それに、エルサレムならば、イエスはユダヤ人の一人として今まで何度も巡礼で来ているのです。ですからよく知った都です。その近辺の人たちも、イエスをよく知っていて、ベタニアの村には、マルタやマリア、そしてラザロという三兄弟の親しい弟子たちもいました。エルサレムの市内には、議員でありますニコデモとか、アリマタヤのヨセフという弟子もいたのです。ですから、他の弟子たちは気づかなかったけれども、イエスはちゃんとペトファゲ村の入り口に子ろばがいる、そして、その持ち主たちとも、ある時にチャンと打ち合わせができていた、こういうことではないかというわけです。

 エルサレムの町に入るのには、オリーブ山を登りまして、ケデロンの谷に今度は下りまして、そりからまた再び、エルサレムのある山を登らなければならないのです。その厳しい上りの入口のところにあるペトファゲという村などには、レンタルの自動車や自転車のように、“レンタルのロバをお使いください”という商売もあったかも知れません。そんなことを想像するわけです。それをイエスはご存じであった考える。なかなか面白いな、と思いますし、常識的に考えますと、そんな推測が生まれてくるのも自然なことかもしれません。しかしそれでは‘信仰’の世界の面白さが見えてきません。

 むしろ、これは素直にイエスの超自然的な予知の能力、先見の明が働いた出来事であると考えた方が、分かりやすいのではないかと思います。ルカは、一言を上記の箇所に書き入れています。その言葉「言われたとおりであった」という言葉です。ですからやっぱりルカは、イエスの千里眼に感動したのです。この一部始終は、本当にイエスが予め言われたとおりだったのだと、その感動を伝えたいという思いでこの一言を付け加えたのだと思います。

 このルカの感動が二千年の時を超えて私たちにも伝わってくるのです。この感動が常識を超えて伝わった時に、今の人生がもっと楽しく、面白くなるかも知れませんね。なぜなら、イエスが私たちのことをよく理解してくださっていることが、この出来事からわかるからです。いや、それだけではなくて、愛してくださっていることもわかってくるからです。

投稿者: 日時: 23:34 |