“彬”という漢字に触れて

 人の名前はというのはなかなか面白い。俳優の‘なかお あきら’の‘あきら’というのはどのような漢字を書くかというと‘彬’と書きます。この漢字は美しい字だと思います。どんな言葉に使われているかといいますと、たとえば、‘彬蔚’(ひんうつ)と読みますが、‘美しく奥深い’という意味です。こんなところに使われています。この‘彬’を漢和辞典で調べてみますと、‘飾りと内容とが共に並び備わるさま’と説明していました。内と外とが一致して美しいということでしょう。この名前を持つ人は素晴らしいでしょうね。

 ある雑誌に載っていた記事ですが、‘ドイツ福音教会’という団体の新しい議長に女性の方が選ばれたのですが、すぐに辞任してしまいました。なかなかの論客で、政権に対しても厳しく批判を展開していました。政府を批判したから辞めさせられたのではなくて、飲酒運転と信号無視で受難節に逮捕されてしまったのです。詳しいことはわかりませんが、どうもお粗末としか言いようがないですね。そのために州の監督までも辞任せざるを得なくなりました。残念ですね。でも責任の取り方は早かった、ということで身の処し方は知っておられる。

 おそらくストレスが溜まっていたのでしょう。でも、自ら御言葉を語るものとして、その御言葉に生きることを忘れてはいけないでしょう。本当に内と外の一致というのは難しいけれども、でも、ここにもイエスの赦しがある。それを覚えて再出発をしてほしいものです。恵みにこたえる、そこで内と外の一致する道があるようにも思えます。

 こんな不一致といったらいいのでしょうか、こんな‘見かけによらない’というのはいいですね。米国のミネソタ州南部の田舎の教会。150年ほど前に、ノルウェーからの移民たちによって建てられた教会です。古い会堂で何の設備もありません。車椅子の人は、みんなで‘よいしょよいしょ’といって担ぎあげなければなりません。日本では、そんな時、車椅子に座っている人は恐縮してしまうのですが、その米国人は、最後まで‘嬉々’として担われているというのです。何かスカッとしたものを感じると言います。

 こんな建物は障害者に対して配慮がないと言われそうですが、しかし、実はそこには暖かい人の交わりがあるのです。貧しい施設をカバーしても余りある人の温かさがあります。こんな違いはホッとしますね。

 さて、私たちが‘彬’という名に相応しい者なのか。そう、よくキリスト者は証しを立てなければならないと言われます。要するに‘外見’が問われるわけですが、先ほどのミネソタの教会ではないですが、内側がキリストの愛で満ちているか、ということでしょう。おのずとして見えてくるものです。‘キリスト者として何かをしなければ’というのではなくて、一人の人間として、一人の市民として、その地域の中で、自分の出来ることを果たしていく、それが大事だと思います。

 私はもそんな思いで、出来る範囲でさせていただいています。

投稿者: 日時: 2010年04月14日(水) 16:24