明日につなげる

 今年は“平城遷都1,300年”ということで11月まで様々な行事が奈良で行われます。朱雀門も復元されて、その門の前での衛兵の交代など、当時の様子も再現されているようです。最近、“歴女”という言葉を聞きますが、歴史が女性の間で人気のようですが、多くの女性が訪れるのではないかと思います。

 平城京についてあまり知りませんが、シルクロードの終着点ということでたいへんな国際都市だったようです。人口がおよそ10万人、そのうちの四割ほどが外国人だったといいます。たいへん活気のある町だったようですね。しかし、常に水不足で悩まされたようです。水で汚物を流すように工夫されていたそうですが、その水不足で、町の中に汚物が溜まり、衛生的には極めて大きな問題を抱えていたようです。ヨーロッパの中世では赤痢などが流行したりしていましたが。確かに、危機的な状況だったと思います。災害にあったときなど、一番困るのが飲み水と下水の処理ですね。そうでないと病気が流行り、町は衰退してしまいます。

 歴史というのは本当に学ぶことが多いと思います。例えば、リーダーシップや会社経営という視点から戦国時代の武将たちについて書物が書かれたりして、そこから今の私たちが知恵を得ようとしていることも見られます。歴史をどう見るのか、見る角度によって色んな姿を見せてくれます。

 旧約聖書にソロモンという人が登場してきます。彼はイスラエルの王様ですが、首都のエルサレムに神殿を建てた人です。今は現存していませんが。それを建てたとき、旧約聖書はこう書いています。「ソロモン王が主の神殿の建築に着手したのは、イスラエル人がエジプトの地を出てから四百八十年目、ソロモンがイスラエルの王になってから四年目のジウの月、すなわち第二の月であった。」とです。この聖書の著者は、昔、自分たちの先祖がエジプトで奴隷とされていたが、そこから神様の憐れみによって脱出することができた、その故事を振り返り、そこから何年目に建てたと数えているのです。ですから著者にとってそれは単なる故事ではなかったのです。

 ソロモンは神殿を建てて祈っています。その祈りの中でも何度も“出エジプト”の出来事に言及しているのです。
例えば、
 「箱の中には石の板二枚のほか何もなかった。この石の板は、主がエジプトの地から出たイスラエル人と契約を結ばれたとき、ホレブでモーセがそこに納めたものである。」
「『わが民イスラエルをエジプトから導き出した日からこのかた、わたしの名を置く家を建てるために、わたしはイスラエルのいかなる部族の町も選ばなかった。わたしはただダビデを選び、わが民イスラエルの上に立てた』と。」
 「またわたしは、そこに主との契約を納めた箱のために場所を設けた。その契約は、主がわたしたちの先祖をエジプトの地から導き出されたときに、彼らと結ばれたものである。」
このようにソロモンの祈りの中の言葉を幾つか拾ってみましたが、エジプトを出たという故事に立ち返っています。

 ソロモンからずーっと昔の話です。しかしその出来事はソロモンからすると彼自身の原点でもあったのでしょう。信仰者として、イスラエル人としての原点であったのでしょう。そのように単なる故事として終わってしまうのではなくて、“面白いな”で終わってしまうのではなくて、ソロモンにとって故事が、明日という日につながっているのです。なぜならそこに神様の介在を読み取っているからです。

 それこそ私たちは毎週のように聖書を通して、昔、昔の出来事を振り返っています。まして私たちとは直接関係のない異国の話です。でも、聖書を知れば知るほどここに書かれている歴史が、私たち全人類に関わる問題であることがわかってきます。それも単なる昔話、おとぎ話ではなく、今の私たちの現実、そして明日の私たちへの深いメッセージが込められていることが見えてくるのです。聖書の歴史は私たちを明日へとつなげていく歴史物語なのです。

 なぜなら歴史は単なる偶然の連続とは、聖書は見ていないからです。聖書を通して世界の流れをちょっとちがった角度から見る目が与えられます。歴史の中に今まで見えなかったものがひょっとして見えてくるかも知れません。

投稿者: 日時: 2010年04月27日(火) 17:50