2010年02月のアーカイブ

・・・とお金

 教会が布教していくのに、どうしても資金が必要です。今日では信徒たちの献金で賄われているわけですが、1549年に来日したザビエルはどうしたのだろうか。マラッカで有力なポルトガル人から胡椒数トンをもらっちてそれを売って、日本宣教の資金にしたようだ。彼が来てから数年後に日本イエスス会は貿易を行うようになりましたが、既にザビエル自身が日本に商館を設けることや貿易に強い関心を寄せていたようです。

 イエスス会は貿易によって得た富によって活動の経費を賄っていました。当初は、生糸に限られていて、小規模なものでしたが、それが絹糸、陶器、金、銀など様々なものに及び拡大していきました。そのためにポルトガル人の商人の間で評判が悪くなりますが、膨大な財の蓄積ができたようで、シナの教会の支援などもしていたようです。

 秀吉が九州征伐から帰ってきてすぐに“伴天連追放令”を発布します。どうしてかと言うと、様々なことが考えられますが、一つの大きな理由に貿易の権利を手にしたかった、ということです。長崎はイエズス会の教会領となっていました。キリシタン大名大村純忠がイエスズ会に寄進したのです。その長崎港にポルトガル船が入り、イエズス会士を通して貿易がなされていたのです。その伴天連たちを追放しようとしたのです。ですから秀吉は教会組織には手を出さなかったのです。

 秀吉は長崎を直轄地としまして、小西隆佐を送り、ポルトガル船から優先的に買い付けることをしました。しかし、従来の値ではなく、安く生糸を買い占めました。そのことのために、マカオでは動揺が起こり、このままでは日本との貿易はできないということで、ポルトガルの商人たちは、日本に送る予定だった荷をメキシコへと送り始めました。それでマカオにいたヴァリニヤーノは、秀吉に使いを送ります・そして・・・、
“教会に迫害を加え生糸を望みのままの値で買い占めて他に売ることを許さなかったので、今年は日本に生糸は送ることはしない。もしも秀吉が従来通りポルトガル貿易をのぞむなら、イエズス会士の日本滞在を許し、ポルトガル人に対しては従来通り取引の自由を保証しなければならない”と伝える必要性を覚えるのです。(“キリシタン時代の文化と諸相”より)

 ヴァリニヤーノは巧みに貿易を利用します。秀吉も“伴天連追放令”を出してはいるものの、10人以内の伴天連の滞在を許し、事実上、自ら“追放令”を抜きにしてしまいます。この微妙な関係、バランスが徳川の時代になるまで続き、教会の布教活動は継続されていくのです

 なかなか面白い。
 長崎があたかも自由都市のように、港にはポルトガルの商船や軍艦が入り、盛んに交易がなされ栄えています。それを見た国家統一を目指す為政者としてはほってはおけない。自らの権力の維持と繁栄のためにそれを手に入れたいと思うのは当然、その欲との微妙な関係が生まれた。何か聖であり、何が俗なのか、簡単には言えないが、富みそのものは聖でも俗でもない。手段であり道具でもあります。

 しかしそれとは無関係に、当時のキリシタンたちは困難な時代の中で、一所懸命に信仰に生きたのである。ある者たちは殉教もいとわなかったのである。その信仰を裏切るような“富”の使われ方だけは、少なくともしてはならないだろう。少なくとも日本にいた当時の宣教師たち、多くの殉教者を出しているのですが、彼らは富を蓄えることが目的ではなかったことは明らかです。

 いつの時代もお金の問題はつきないが、為政者が国民を裏切っていると思われたら終わりだ。「私は彼と会いました」「私は彼と会っていません」。ある二人の政治家の台詞ですが、明らかに嘘をついています。その嘘の中でのお金の問題。それで潔白を信じろと言うのですか? 難しいですね。“神の前に立つ”ということがないと、こうなるのかもも知れません。この“神の前に立つ私”という実存、これがカギになると思います。

投稿者: 日時: 12:43 |

祈りと信仰

 福音書の中に盲人のお話がいくつかあります。ルカ伝18章にそれがあります。マタイ伝やマルコ伝にもありますが、そちらでは、この出来事がエリコという町の中でのことであったり、二人出てきたり、さらにはバルテマイという名前までも付いています。そんな違いがあるのですが、ルカ伝での話を書いてみますと、次のようなことです。

 物乞いをしている盲人の前を、イエスが通り過ぎようとされる時、盲人は、感覚が敏感ですから、ただならぬ人の気配を感じ、近くにいる人に「これは、いったい何事ですか」と尋ねたのです。すると「ナザレのイエスのお通りだ」という返事か返ってきました。イエスを「ナザレのイエス」と呼ぶのは、イエスはナザレでお育ちになりましたので、人間としてのイエスを強調している表現だといえます。でも、それを聞きました盲人は「ダビデの子イエス」と呼び方を変えて叫ぶのです。救い主を表す表現です。人々は彼を黙らせようと叱りつけましたが、それにもめげずに盲人は、ますます、「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください」と叫び願い続けました。

 これは出だしですが、ここでのポイントは、「ナザレのイエス」が「ダビデの子イエス」に変わったということでしょう。その違いを簡単に上記に記しておきましたが、この盲人の意識は明確であるということです。焦点が定まっているということですね。何か煮え切れない態度ではないということです。彼には曖昧さがないのです。ここまで明確だとスカットとします。

 彼は何を頼んでいるのかと言うと、「目が見えるようになる」ことです。当たり前と言えば当たり前ですが、彼は自分の問題は何か、ということをしっかりと把握しているということです。悩んでいる人で、自分の問題点がはっきり見えていない人がいますが、自分の問題点、自分の根本的な問題点をしっかりと押さえる必要があります。それをイエスにぶつけていくのが祈りであります。私たちが祈りを積んでいくというのはそこに意味があって、自分の根本的な問題を見出していくことが重要なのです。ですからこの盲人は、単に物乞いをしているのではないのです。

 現実の人生の中にある、あの問題この問題という様々な問題、それについて助けてほしいと思うことはたくさんあります。しかし、そこで留まってよく考えてみる必要があると思います。そうすると、そういう根源的な問題が見えてくるかも知れません。それを探り出して、“これだ”というものをイエスにぶつけてみることが重要だと思います。

 祈りというのは、小さなことがかなえられていくのか、かなえられて行かないのか、そんなところで一喜一憂するのではなくて、人間にお願いするような、物乞いをするのではないので、人間にはとうてい不可能だと思えること、根本的な事柄をお願いしていく、それが祈りというものだろうと思います。お願いするならば、対症療法ではなくて、“これだ”というものを見つけ出して、それをイエスにぶつけていきたいものです。おそらく、この盲人は、“目が見えるようにしてください”と今まで誰にも頼まなかったでしょう。イエスだからこそ、頼んだのです。

 ですからそこにはイエスに対する深い信頼があるのです。“信頼”というのは信仰の重要な要素の一つですね。ヘブライ11章に、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認すること」だという御言葉があります。まだ見えていないのです。でも、こうあってほしいなぁ、と望むことを先取りにして、実現したかのように見て取るのです。そこまでの信頼を寄せることが信仰だとヘブライ書は語っています。

 私たちがお祈りする時には、このイエスには、人を愛し、人を癒す力がある、そして盲人が叫んだ言葉「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください」、「私を憐れんでください」という言葉、イエスは人を憐れんでくださる方だと信頼して、大胆に、信仰をもって祈り続けたいものです。

投稿者: 日時: 16:12 |

真実の姿

 真実の姿というものはなかなか見えてこないものである。人の言葉によって作り上げられていく、ということがある。それだけに真実を求めるのは、歴史の好きな私としては興味あるところです。

 吸血鬼ドラキュラの話のもとになっているポーランドのある王の話は少しは知っていたのだが、BSの番組で詳しく知ることができました。以下簡単に触れてみたいと思います。

 “吸血鬼ドラキュラ”のモデルになっているのが“串刺し公ブラド”と呼ばれる、今のルーマニア、マラキヤ公国の王、ブラド・シュペシュという人である。彼は城の周りに人を生きたまま串刺しにしていたといいます。そしてそれを目の前にして食事している姿が版画となり出回っていたといいます。本当に彼は残忍な王だったのでしょうか。

 ブラド・シュペシュは別名、ブラド・ドラキュラと言うそうです。父親がブラド・ドラクルと呼ばれ、“ドラクル”とは龍という意味で、父親は勇敢な騎士であったようです。その“龍の子”ということで“ドラキュラ”と呼んだそうです。その名前は彼は気に入っていたとのことです。しかし“ドラキュラ”にはもう一つの意味がある。それが“悪魔”というのだそうだ。ポーランドのある地域には、死人が生き返って人間にわるいことするという伝説があり、実際に、死人の心臓に杭が打ち込まれていたといいます。それと繋がって吸血鬼ドラキュラの話が生まれてきたのでしょう。

 このようなイメージが作られてきた背景には、彼が生きた時代がありました。マラキヤ公国が置かれていたところは、カトリック地域とオスマントルコ、イスラムの世界に挟まれ、マラキヤはギリシャ正教の地域でした。両地域からの脅威にさらされ、とくにオスマントルコがスルタンのもと、勢力を拡大してきていました。その最前線に位置していたのです。ブラドが重視していたのは“情報”でした。捕えたトルコ兵を生きたまま串刺しにし、その恐怖心を味方にして彼は国土を守る戦いに臨んだのである。彼の兵士はⅠ~2万と言われ、それで何十万かのトルコ兵と戦ったのである。

 当然、マラキヤは破れることになるが、スルタンはマラキヤに入り、同胞が串刺しにされているのを見て、こんな男と戦っていたのかと恐れたという。彼はハンガリーに逃れ、後に再びマラキヤの王位につき戦い、そして戦死をすることになる。時代に翻弄され、国土を守るために戦い抜いた王の物語である。ルーマニアのある地域では、今も家の玄関に“ブラド・シュペシュ”の肖像を飾る習慣があるそうだ。“こうして働くことができるのは彼のおかげ”ということで感謝をしている。ルーマニアでは英雄なのである。

 聖書の中に次のような祈りがあります。
18:13 ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』
18:14 言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、・・・だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」

ここに「憐れんでください」という言葉があります。これは「憐憫の情で見てください」という意味ではなくて、「私に対する怒りを鎮め、和解してください」という祈りです。徴税人は、当時の人々から良しとされる人間ではなかったが、自ら神の前に立った時に罪の塊としか言いようがない、そんな自分であることをよく知っていた。だからこそ「憐れんでください」と祈った。

 ブラドの心の中は知る由もないが、国土をただ守るため生きたが、その手は血に染まっていた。そのことは彼自身が一番よく知っていたことであろう。彼も神の前に立った時は、たとえ英雄であろうとも“憐れんでください”としか祈るいがいに道はない。

 真実な姿とは何なのか、まさに徴税人が祈った祈りに答えがある。しかし、聖書は言う「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」と。ブラドの話は特別だが、さて、私たちは聖なる神の前に立った時、自分がどのようにみえてくるのだろうか。真実の姿が見えてくるだろうか。

投稿者: 日時: 23:25 |