2010年01月のアーカイブ

神に触れる感動を

 思想家のキルケゴールは、自分の家の隅々にメモ用紙を置いていて、頭にひらめいたものがあれば、そのメモ用紙に直ぐに書き留めたと言います。私も最近は、キルケゴールのようにしなければならないなと思うことが度々あります。このようにしてささやかなコラムを書いて、キリスト教理解の一助になればと思っているのですが、ある時に、ふと、“これを書こう”と思うことがあるのですが、しばらくするとすっかり忘れてしまって、コラムを書き始める時は、“何をかこうか”と、思いつくままに書いてしまうことが度々あります。

 でも、“思いつくまま”、“思いのまま”というのは注意をしなければならないと思うのですが、ギリシャ語の教師で有名なO先生という方がおられて、数年前に81歳で亡くなられたのですが、ちなみに先生のお手製のローマ書の注解書を持っていますが、今では手に入らない貴重なものだと思っていますが、私が言うのも何んですが素晴らしい本です。聞いた話ですが、その先生が高齢になられてからの礼拝での説教は、死についての話が続いていたそうです。思いがそこに向けられていたのでしょう。でも、とても大切なことだけれども、毎週毎週その話を聞かされるほうはどうなんでしょう。“ちょっとは違う話を”と思うかも知れませんね。

 私は、ふと思うことがあります。自分のことを言っているのではないのですが、身近にいる説教者の言葉というのは、意外と右から左へと抜けていくものです。それほど大切な言葉として受け止められないものです。同じ言葉でも、外から呼んだ先生が言うのと、自分の教会の牧師が言うのとは受け止める側は違うものです。それでも、自分の教会の牧師が教会を去ってのち、あるいは天国に行ってから、説教テープが残っていたりして、それを聞いてみると、“うあ、素晴らしい説教だなぁ”と思うことがあるものです。

 先の話に戻りますが、O先生の説教、実際に私は聞いたことがないのですが、毎週同じテーマの話を聞いていた聴衆は、実際はどう思われたのかわかりませんが、それを聞いていた時よりも、後にテープで聞く先生の言葉、一つ一つの重さが、実際に聞いていたときよりも感じるかもしれません。感動することが多いと思います。

 ある牧師が“説教とは生モノだ”と言っていましたが、生モノとは新鮮さが勝負ですから、その意味で説教も語られたその時、その場所において意味があるということでしょう。もしそうだとすると、“ミニストリー”という季刊誌があり、そこに毎回、いろんな説教者のDVDが付いているのですが、その説教を聞いたり、読んだりして感動するとはどういうことでしょう。

 その説教の中に普遍的なものが語られており、その普遍的なものに触れるからこそ感動するのではないかと思います。その普遍的なものを見極めるめ、それを味わうことができるセンス、それが大切だと思います。

 新約聖書のルカ伝17章27節以下に次のようなことばがあります。「ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたが、洪水が襲って来て、一人残らず滅ぼしてしまった。ロトの時代にも同じようなことが起こった。人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、ロトがソドムから出て行ったその日に、火と硫黄が天から降ってきて、一人残らず滅ぼしてしまった。」

 危機がせまっていたのにも関わらず、多くの人々は目先のことだけに生きていた、そこだけに捉われていた。その結果、滅びを招いてしまった、ということです。この話はそれぞれ創世記7章と19章のところで語られているのですが、彼らには神からの何らかの形で警告が与えられていたのにも関わらず、それを聞かなかったのです。聞き取れなかったのでしょう。神という普遍的な方に触れても感動しない、心の上をすべっていく、心の皮が固かったのでしょう。

 普遍的なものを見る目、それを味わうセンスを持ち合わせていなかったのです。困難な時代だからこそ、心を豊かにしていくもの、普遍的な方に触れる喜び、感動を人は必要としているのではないかと思います。そうでないと滅んでしまうかも知れません。キルケゴールではないですが、心の中に普遍的なものに触れていく喜び、感動を刻み込んでいきたいものです。

投稿者: 日時: 11:55 |

年の初めに

 新年のお慶びを申し上げます。

 昨年のクリスマスからゆっくりと休む暇がありませんでした。しかし、めちゃくちゃに忙しいということでもないのですが、ただ、クリスマス後に、地域の歳末時別警戒で五日連続の夜警が続き、新年礼拝、主日礼拝、そして会員の方が召されるということが続き、葬儀か終わった日の夕方から、汚い話しですが、腹痛も何もないのに下痢が急に起こり、水が出っぱしということになりました。やっと止まったのですが、翌日、一日中、倦怠感と脱力感が残りました。ひょっとしてカゼなのかもしれないが、とにかく体力が落ちたのを肌で感じる年始めとなりました。

 召された方は私の一つ上でしたので、若くして召されました。ご本人は自分が死ぬことが分かっていての半年の闘病生活でした。そんな彼と関わってきましたが、自らの死を見つめると言うのは厳しいものがあります。

 私は一つ言いたいのだが、“心のケアはどうなっているのか”と、積極的な病院からのアプローチがあってもいいのではないかと思います。時間がない、人員がない、多分、色々な理由があるのだろうと思いますが、でも、所詮、患者は受け身なのだ。医療として大きな問題があるように思う。言い訳にはならないと思う。お医者さんが言われたそうだ、“余り考えないように”。そんな馬鹿な話しはない。考えるなというほうが無理だ。そこに手を差し伸べるのが医療ではないのかと思う。

 でも、彼が神を知り、信仰が与えらていたことは、何か準備がなされていたようにも感じます。信仰生活は、一年ほどの短い間で、その半分が闘病であった。でも彼はよく病と闘った。その身は朽ちたとしても、今は神と共におられる。

 彼は、昔、子供のころであるが私たちの教会に来ていました。あることをきっかけに来られるようになったのですが、義理の兄がキリスト者ということで、“教会に行きたい”ということで相談され、近くの私たちのところへとお兄さんと一緒に来られた。これも子どものころに教会に行っていた、ということが影響している。その問題も解決されて教会生活が始まったのです。人はどんなことで導かれるかわかりませんね。ですから、どんな小さな働きでも行う意味がありますね。

 彼の性格はひょうきんなところがありまして、病の中にありましても、それをひょうきんに表現するのです。本当に楽しい人でした。その人の人柄というのでしょうか。

 別の話しになりますが、ある人がこんなことを言ったと聞きました。“私は人から怖い人だと思われているようだけれでも、本当は違うので、これから優しく人と思われるようにしようと思っているのですよ”というようなことを言われたそうだ。その方もきっと気にしていたのでしょう。でも“人から怖い人”と思われてきたということは、当然、そのような印象を人に強く与えて来たということですから、その人の人柄なのだと思います。それを優しく見せる、できるかも知れませんが、でも、表面的にいくら変えても、本質は変わらないものだ。その人らしく、そこに味が出てくるのだと思います。

 私も今年60歳、いまさら変化を求められる年でもないし、体力も気力も以前のようにはいかない。しかし、それなりに磨きをかけたいと思っていするが、ただ、神の憐れみによるのだなぁ~ということを改めて思う。ただ、地道に一つ一つやるしかない、神を信じて。

 年の初めにしては、どうも大したことは書けませんでしたね。

投稿者: 日時: 16:39 |