2009年08月のアーカイブ

救われる人、少ないの?

 先に妙見山に大学生たちと登ったことを書きました。山頂のお寺の施設で休憩したわけですが、そこに日蓮宗の新聞が置いてあったので、それを見ますと青年の集まりがあったようで、何百人と集まったとのことです。信徒数が何百万といるのだからそれぐらい集まっても当然と思うのですが、ことしはプロテスタント宣教150年、百数十万という信徒の数ですが、仏教の一宗派にも負けるような人数です。それこそ神様に問いたいような気がします。「救われる人は少ないのでしょうか」とです。

 人というのはそんなところで生きている、極めて俗的だと思います。数にとらわれます。なぜ数に囚われるのか。一つは評価、世の中の評価、それに囚われているのです。世の中は数で評価をします。

 イエスが町や村を巡り中ら旅をしている時に、ある人が「救われる人は少ないのでしょうか」と尋ねているのです。その時にイエスはなんと答えたかというと、“あなた自身はどうなのですか”と問い返しているのです。「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。」と言われました。

 このイエスの答え「狭い戸口から入る」というのは、“あなた自身の問題として救いについて取り組みなさい”と言われているのです。そこでイエスは一つの譬え話をされます。

 ある家の主人が、一日の仕事を終えて戸締りをしました。すると戸口の外で「御主人、開けてください」と戸をたたく人がいるのです。主人は、もう遅いし、すべてが終わって寝ようとしているのですから、“どこのどなたか知りませんが、もう終わりました”と断ってしまうのです。こんな話をイエスはされました。

 お分かりでしょうか。外に立つ人が家の中に入れるのは、その家の主人の意向によるのです。外の人の意向によるのではないということです。誰を家の中に入れるのか、どのような人を入れるのか、いつ入れるのか、それを決める権限を持っているのは家の主人なのです。ですから外に立っている人は、その家の主人の意向に合わせなければならないのです。

 この家の主人というのはイエスのことです。外に立って戸をたたくというのは村人です。ですから村人は救われるためにはイエスに合わせなければならないのです。彼らは言います。“一緒に食事をしました”“広場で教えを受けました”とです。でもそのような上っ面だけの関係では駄目なのです。イエスの御心にそって、私たちのうちにある罪を認め、悔い改めなければならないのです。

 ルターは、宗教改革の口火を切ったと言われる“95カ条の提題”の第1条で、「私たちの主であり師であるイエス・キリストが、『悔い改めよ・・・』といったとき、彼は信じる者の全生涯が悔い改めであることを欲したもうたのである」と述べ、日々私たちが神の御心にそって歩むことの大切さを語っています。

 誰しもよい評価を得たいものです。認められたいものです。それは必要なことだと思いますし、他者に対しての関わり方を考えなければなりませんが、しかし、“自分”ということを考えるときには、神に認めていただく、それを第一の喜びとしていくことが肝心ではないかと思います。そこから始まると思うのです。

投稿者: 日時: 16:14 |

妙見山にハイキング

 八月の中旬に大阪府豊能町にある“妙見山”に青年の集まりでハイキングにいきました。同じ写真がメインページにも掲示していますが、季節としては秋になりますが、真夏といっていい炎天下のハイキング。しかし実際に歩く距離はしれていまして、ケーブルカーとリフトで山頂近くまで行きます。青年たちは、歩いて登るつもりだったようですが、付き添いの者たちは50代後半、70代の者ですので、私たちにとっては、歩いて山頂まではきついですし、だいたい道を知らない。それに降りてきてからは集会も予定されているので、体力をすべて使い果たしてしまうわけにはいきません。
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 お盆も過ぎていたので人は少なかったですね。山頂には“日蓮宗系のお寺”があり、その信徒のための施設だったと思いますが、二十数年前に一度私は行っているのですが、その時にはありませんでした。近代的な施設で、そこで休憩と昼食をとりました。冷房がきいて、静かでBGMにお経が流れていました。誰かがここでキリスト教の集会ができるといったそうだが、それは無理でしょう。お寺がそれを許さないだろうし、あえてそこでしなければならない理由もない。逆を考えれば分かる。教会で日蓮宗系の集会を私たちが許せるか、ということです。あえて仏教の集まりを教会でするかということです。そのへんはお互いに紳士にすみ分けていかなければならない。しかし、おかけでゆっくりと休むことができた。

 今、世界はグローバル化が進み、宗教の世界もヨーロッパはキリスト教、中近東はイスラム、アジアは仏教というようには区切ることができない様相を見せています。現在ドイツでは、人口の四%がイスラムだといわれています。多くはトルコからの移住者だそうで、およそ300万人いるといわれています。

ケルンという町、大聖堂のある町で知られていますが、そこに高さ50メートル以上の塔を持ち、2000人を収容できるモスクを建てるということで問題が持ち上がっているそうです。憲法で信教の自由が認められているのですが、ドイツがイスラム化していくことに危機感を覚えてのことでしょうが、ケルンに大モスクを建てることに、右翼も加わって反対運動が全ドイツに広がりを見せているとのことです。ちなみに現在ドイツにはモスクは、2500ほどあるそうですが、あまり目立たないように建てっているそうです。

 そんな中で、“ドイツ福音教会”は、お互いの違いを認識しながら、よき隣人として共存していこうと、寛容な姿勢をとっています。しかし、モスクの建設に際しては、キリスト教文化の中で突出した存在にならないように求めているようです。ともかくもこれからどのように共存していくのか。2030年にはイスラムの人々は人口の八%、600万人になるとも言われ、ドイツ内で大きな政治的な勢力ともなっていくでしょう。

 私は、キリシタン時代のイエズス会とフランシスコ会の宣教の違いを思い起こしました。フランシスコ会は、ヨーロッパで用いられている教会法をそのままむ日本にも適用すべきだと考えていましたし、イエズス会は、日本独自の教会法を作成しようとしていました。その例が、以前にも書きましたが偶像礼拝の問題で、主人に伴ってお立てらに行き外見上礼拝行為をしたとしても、主従関係のなかで、それをしなければ主人を愚弄はたことになり、時には命すら失うかも知れないということで、関係を大切に考えるイエスズ会はそれを罪と求めず、告解の秘跡で告白する必要はないとしたが、フランシスコ会はそれを罪と認め、告解の秘跡で告白し、赦しをいただく必要があるとした。破門の対象になるとすら考えているようです。その姿勢が、キリシタンの多くの殉教を生んだともイエズス会は批判しています。

 すべての人々が神様の愛の対象であることを私たちは忘れないで、良き隣人として、違いを認めながら、紳士的に関わっていく必要があり、また時にはお互いに学ぶべき点もあるのではないかと思います。異教の中での私たちキリスト者のあるべき姿、教会の姿勢を考えさせられます。

投稿者: 日時: 16:09 |

 東山魁夷という日本画家がいます。香川県坂出市にその「東山魁夷せとうち美術館」というのがあり、東山画伯の絵画を多く所蔵されています。彼については多くを知りませんが、“道”とか“馬”とかを多く描いています。1950年の作品に“道”というのがありますが、その作品について東山画伯は、次のようなコメントを書いています。「夏の早朝の草原の中に、一すじの道がある。遍歴の果てに、新しく始まる道、絶望と希望が織り交ぜられた心の道」とです。

 東山画伯は、1908年に生まれ、1926年に東京美術学校の日本画科に入学し、さらに後に、洋画の研究のためにドイツのベルリン大学に留学しています。帰国後、国土会を結成し、戦後は、“残照”で日展において特選に選ばれています。その後、芸術院賞なども受けて風景画家としての地位を固めました。そして1999年に没しています。輝かしい経歴の持ち主であります。しかし自らの画風というものを確立していくために様々なものを求めてこられたのかも知れません。

 先の“道”についての画伯のコメントは彼自身のことなのかも知れません。今、祈祷会で新約聖書のマタイ福音書の中から“主の祈り”について学んでいます。その六番目の祈りの言葉ですが、「わたしたちを誘惑に遭わせず、/悪い者から救ってください。」というものです。カルヴァンがこの六番目の祈りについて、「私たちが誘惑にあわないように悪い者から救ってください」と読むべきだと言っています。アウグスティヌスも同じ理解をしているようです。このように理解をしますと、この主の祈りの六番目は、人間の弱さについての祈りだといえます。そしてこの祈りは、その弱さを持っている人間が、神の導きと守りを願っているもので、

 東山画伯が何かを求めてきたであろうその姿を推測して、それを「夏の早朝の草原の中に、一すじの道がある。遍歴の果てに、新しく始まる道、絶望と希望が織り交ぜられた心の道」という言葉に見て取ったのですが、その理解は間違っているのかも知れませんが、ともかくも人間というものは、迷うものです。それを弱さといえるのではないか。だからこそ、イエスが“このようにして祈りなさい”と言って弟子たちたに祈りを教えられたのです。人間というものはなかなか“これが私の道”だと見出すに至るのに時間がかかるものです。時には、それを見いだせずに、迷いの中に世を去る者もいます。

 いつだったか、東京大学の応援団の話をテレビで見ました。東大の野球部は大変弱くって勝ったことがありません。応援団長が団員に言いました、“野球部が勝てないのは、われわれの応援が足りないからだ”と。そのように言って鼓舞していましたが、野球部が弱いのは、彼らの技量が足りないからで、決して応援が足りないからではないのだが、本当にそう思っているのか。信じているのか。もしそうだとすると、これをマインドコントロールというのではないかと思う。そうも言わないと団員は鼓舞できないのだが。団長の目つきはなかなか鋭いものがありました。

 そういう“道”の探し方ではなくて、神と対話をしながら、聖書を読み、祈り、考え、求める。世の喧騒の中ではなく、心静かに腕をくむ中に“道”が見えてくるのかも知れません。東山魁夷の描いた“道”は青森県八戸市の種差海岸を描いているのですが、画面の中央に一本の道が通り、その道は坂の上で切れている、そしてその向こうに海が広がっているのである。何か静かで、穏やかである。

投稿者: 日時: 15:38 |