妙見山にハイキング

 八月の中旬に大阪府豊能町にある“妙見山”に青年の集まりでハイキングにいきました。同じ写真がメインページにも掲示していますが、季節としては秋になりますが、真夏といっていい炎天下のハイキング。しかし実際に歩く距離はしれていまして、ケーブルカーとリフトで山頂近くまで行きます。青年たちは、歩いて登るつもりだったようですが、付き添いの者たちは50代後半、70代の者ですので、私たちにとっては、歩いて山頂まではきついですし、だいたい道を知らない。それに降りてきてからは集会も予定されているので、体力をすべて使い果たしてしまうわけにはいきません。
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 お盆も過ぎていたので人は少なかったですね。山頂には“日蓮宗系のお寺”があり、その信徒のための施設だったと思いますが、二十数年前に一度私は行っているのですが、その時にはありませんでした。近代的な施設で、そこで休憩と昼食をとりました。冷房がきいて、静かでBGMにお経が流れていました。誰かがここでキリスト教の集会ができるといったそうだが、それは無理でしょう。お寺がそれを許さないだろうし、あえてそこでしなければならない理由もない。逆を考えれば分かる。教会で日蓮宗系の集会を私たちが許せるか、ということです。あえて仏教の集まりを教会でするかということです。そのへんはお互いに紳士にすみ分けていかなければならない。しかし、おかけでゆっくりと休むことができた。

 今、世界はグローバル化が進み、宗教の世界もヨーロッパはキリスト教、中近東はイスラム、アジアは仏教というようには区切ることができない様相を見せています。現在ドイツでは、人口の四%がイスラムだといわれています。多くはトルコからの移住者だそうで、およそ300万人いるといわれています。

ケルンという町、大聖堂のある町で知られていますが、そこに高さ50メートル以上の塔を持ち、2000人を収容できるモスクを建てるということで問題が持ち上がっているそうです。憲法で信教の自由が認められているのですが、ドイツがイスラム化していくことに危機感を覚えてのことでしょうが、ケルンに大モスクを建てることに、右翼も加わって反対運動が全ドイツに広がりを見せているとのことです。ちなみに現在ドイツにはモスクは、2500ほどあるそうですが、あまり目立たないように建てっているそうです。

 そんな中で、“ドイツ福音教会”は、お互いの違いを認識しながら、よき隣人として共存していこうと、寛容な姿勢をとっています。しかし、モスクの建設に際しては、キリスト教文化の中で突出した存在にならないように求めているようです。ともかくもこれからどのように共存していくのか。2030年にはイスラムの人々は人口の八%、600万人になるとも言われ、ドイツ内で大きな政治的な勢力ともなっていくでしょう。

 私は、キリシタン時代のイエズス会とフランシスコ会の宣教の違いを思い起こしました。フランシスコ会は、ヨーロッパで用いられている教会法をそのままむ日本にも適用すべきだと考えていましたし、イエズス会は、日本独自の教会法を作成しようとしていました。その例が、以前にも書きましたが偶像礼拝の問題で、主人に伴ってお立てらに行き外見上礼拝行為をしたとしても、主従関係のなかで、それをしなければ主人を愚弄はたことになり、時には命すら失うかも知れないということで、関係を大切に考えるイエスズ会はそれを罪と求めず、告解の秘跡で告白する必要はないとしたが、フランシスコ会はそれを罪と認め、告解の秘跡で告白し、赦しをいただく必要があるとした。破門の対象になるとすら考えているようです。その姿勢が、キリシタンの多くの殉教を生んだともイエズス会は批判しています。

 すべての人々が神様の愛の対象であることを私たちは忘れないで、良き隣人として、違いを認めながら、紳士的に関わっていく必要があり、また時にはお互いに学ぶべき点もあるのではないかと思います。異教の中での私たちキリスト者のあるべき姿、教会の姿勢を考えさせられます。

投稿者: 日時: 2009年08月19日(水) 16:09