2007年09月のアーカイブ

リスク管理

 今月は何かと忙しくて書く暇がない。今も夜に書いているのだが、ゆっくりと考えながら、あるいは本を見て確認しながら書く余裕がないので、前回と同じように出来事から書こうと思う。

 昨日は黄熱病の予防接種に行ってきた。南米にでかれるためだが、全部で四種類受けた。二回受けないといけないもの。この予防接種をしたら四週間あけないと他の予防接種を受けられないと、色々と制約があってめんどくさい。それはともかくも、黄熱病の予防接種を受ける時の説明で、10万人に一人ぐらいは脳炎を起こすこともあるかも・・・・、と聞いた。当然、弱めた菌を使うのだから、そういう副作用の可能性は潜んでいるだろう。そうでなくても、頭痛や筋肉痛は起こるかもしれないと言われた。今のところそういう症状はなさそうだが、10日間は激しい運動はしてはいけないと言われた。

 予防接種を受けてから30分ほど施設内に留まっているように、すぐに医師と連絡取れるところにいるようにと言われた。ソファーにゆっくりと腰掛けながら、ふと、人はリスクを負う者だと思わされた。そのリスクの度合いは様々な条件によって変わるだろうが。

 自動車に乗せてもらっている時、その車の整備状況、運転手の技術や経験、車種、高速か普通の道路か・・・などによって異なる。しかしともかくもリスクは避けられない。たとえ家の中にいたとしても何らかのリスクはある。地震か起こり、家具の下敷きになるかも知れない。道路際の家だったら車が突っ込んでくるかも知れない。あるいは強盗に襲われてケガをするか知れない。いやいや何かに躓いて足の骨を折るかも知れない。考えたら切りがない。

 昔、医療関係の仕事をしていたので、「リスク管理」ということが言われていた。日ごろから危険回避のための準備と注意を怠ってはならない。しかし日常生活の中でどのように危機を避けたらいいのか。私は予防接種を受けたが、10日間激しい運動をするなと言われたら、しないという注事項、約束事は守ると言うことだろう。あるいは、最近は地震についての情報が多く、確かに頻発しているように思う。そのための日ごろからの備えをしておく必要があるでしょう。車の運転をしているならばルールを守る。そういうことによってリスクはある程度下げることができる。しかしゼロにすることはできない。

 人間の努力、能力には限界がある。どこかで何かに自分の人生を委ねざるを得ない。何に委ねるのか、偶然に任せるのか。あるいはわけのわからない運命になのか。それとも聖書の神様になのか。

 旧約聖書にヨセフという人の物語がある。彼は親の偏愛のゆえに兄弟たちの嫉みをかい、売り飛ばされエジプトで奴隷となり、更に誤解されて牢屋へと放り込まれる。しかし彼の賜物であった夢解きの力を王様にかわれ、エジプトの宰相まで上り詰めることになる。そこに兄たちが飢饉を逃れてエジプトにやってくる。その兄たちを前にしてのヨセフの台詞は、父や兄たちが生き長らえるために、神が先に私をエジプトに送ったのだと言う。簡単に言える台詞ではないが、しかし人生のマイナスの面も積極的な意味で捉え、トータルに人生を見ていく時に、ヨセフは今の時を理解し、兄たちへの恨みを克服している。そこには神様に委ね切った者の姿があるように思う。

投稿者: 日時: 23:59 |

変わること

私が卒業した神学校が創立50周年を迎え、17日に記念式典があった。200名近い人々が集まりお祝をした。懐かしくここで学んだことを思い起しながら過ごさせていただいた。50年前と言えば、私は7才、小学生である。当時、私が遊んでいた家の周辺の様子を覚えているが、今はその家もなく、まったく様子が変わってしまっている。そこには震災ということもあったのだが。それだけでなく経済状況も今日とは大きく変化をした。それだけでなく、記念講演をされた日本ルーテル神学校長の江藤師が言われていたことですが、以前は神の領域であったものが、人間の手の中にある時代、例えば、受精卵の時から生まれてくる子どもに障害のあるなしが分る。そのように変わってきた。だが「そんな時代だからこそ」と先生は言葉を繰り返され、私たちの立っているところにしっかりと立たなければならないと言われる。

 来賓の挨拶の中で神学校が変わることを求める挨拶もありましたが。確かに時代と伴に変わってきたし、これからも更に変わっていくでしょう。しかし当然のことながら、何を変え、何を変えないのかは重要です。記念講演の中で、万人祭司制について話された。ルーテル教会の主張ですが、今年、ローマ・カトリック教会で160名ほどの人々が福者に列せられたそうだ。16世紀、17世紀に日本では多くの殉教者をだした。その人たちだ。だが司祭や修道士はペテロ・岐部をはじめ5名しかいなかったという。そのほかは全て信徒であった。信徒がしっかりと信仰に生きた証しであるが、牧師の務めはこのような福音を示していける信徒を育てていく。そのような牧師を生み出していく神学校として変わるということはあるべきでしょう。

 話しは変わるが、私は日曜日の新聞で本が紹介されている欄をよくみる。16日の新聞には「暴走老人」という題の本が紹介されていた。買って読もうかとおもっているが、最近は切れる老人が増えているという。確かに老人による兇悪な犯罪も起こっている。どうしてか、激しく社会が変わっていく、それについていけないというか、適応できないというか、そういうことで孤立感を深めていくからかも知れない。中身を読んでないので分らないが、そのような社会の変化から捉えようとしているようだ。

 ともかくも変化は避けられない。ますます激しく変わるかも知れない。時代が、社会がどのように変わろうとも、あるいは自分が年とともに変わろうとも、変わることのないもの、縦の座標軸をしっかりとおもって、自分がどこに位置しているかを握っておくことが重要な時だろう思います。

 孤立化と書きましたが、孤立化は老人だけでなく、「個食」という言葉があるように、一人で食事をする子どももいるわけです。「そんな時代だからこそ」福音に「聴く」ということを教えられている私たちは、彼らの傍らにあって聴くことが社会的に求められているのかも知れない。

投稿者: 日時: 14:23 |

無知であってはならない

最近、ギリシャ正教会の宣教師ニコライの日記が出版された。ギリシャ正教会にはあまり馴染みがない私ですが、まだ一部ですが、面白く読ませてもらった。ニコライは主教として日本の各地を巡回する。悪路の中を馬車で回ることは大変な旅であったと思われる。ミサなどの道具のために、個人的なもの、下着を含めて少なくしていたようだ。そうした彼を人々は村から何キロも歩いてニコライを出迎えに出る。それがどうもニコライには煩わしかったようだ。人々を歩かせて自分一人馬車に乗っているわけにもいかず、馬車から降りて人々とゆっくりと歩くが、雨だと道がぬかるんで大変だったようだ。その煩わしさもわかるが、当時の人々が敬意をもってニコライを迎えた気持ちが伝わった来る。そして大体、数十人程度集まる礼拝をしていたようだ。それぞれのところには伝教者と呼ばれる日本人の伝道者がいて、伝道活動をし、教会を形成していた。

 そのようなことを記しているニコライの日記ですが、きっと彼を悩ましただろうと思うが、伝道をサボっている伝教者や教会から離れていってしまう信徒のことも触れていた。教会から信徒が離れていく理由を三つ挙げている。
①無知
②不道徳
③偶像への執着
これらの事がまたキリスト教への迫害を生んでいるとのことである。

 上記の三つは今も考えなければならない課題でもあるように思う。ユダヤ人に律法が与えられていたのですが、それを彼らは外側から見て守るということを考えた。外見的には守られていることを喜び、誇りともした。しかしパウロの理解は、心の底から律法の中にあって、律法に生きるということでした。ではそこで人間である限り、そのパウロの理解に対して「我は然り」と答えられる者がいるのか。律法を与えられている私と、宗教的に敬虔に生きようとする私の間に矛盾がある、ズレがあることに気づかされる。それが罪の自覚なのかも知れない。少なくともそういう意味でユダヤ人は罪と真正面から向き合う事が許されていた。もしそうした生き方があったならば、自らを人と神の前に誇りとする罪を、異邦人を見下す過ちも犯す事はなかったかも知れませんし、更に福音と出会う契機ともなったかも知れません。

 ニコライが挙げた三つは、御言葉に対する無知というところに起因があるように思う。聖書に学び、聖書に親しみ、聖書に浸る歩みが明日の教会を造っていくのではないか。明日のキリスト者を育てていくのではないか。今日の祈祷会で、ある方が、知り合いの先生が信徒向けと思われる聖書注解書を出版されると紹介してくれましたが、説教集と注解書はなかなか売れないものだと思う。鍋谷堯爾先生が「詩編を味わう」の三巻を完結される。多くの人々に読まれることを願う。面白おかしい話しを喜ぶだけでなく、聖書の言葉が説き明かされていくことを味わい、喜びとする。そんな人が育つことを心から願う。そうでないと明日はないかもしれない。

投稿者: 日時: 18:17 |