リスク管理

 今月は何かと忙しくて書く暇がない。今も夜に書いているのだが、ゆっくりと考えながら、あるいは本を見て確認しながら書く余裕がないので、前回と同じように出来事から書こうと思う。

 昨日は黄熱病の予防接種に行ってきた。南米にでかれるためだが、全部で四種類受けた。二回受けないといけないもの。この予防接種をしたら四週間あけないと他の予防接種を受けられないと、色々と制約があってめんどくさい。それはともかくも、黄熱病の予防接種を受ける時の説明で、10万人に一人ぐらいは脳炎を起こすこともあるかも・・・・、と聞いた。当然、弱めた菌を使うのだから、そういう副作用の可能性は潜んでいるだろう。そうでなくても、頭痛や筋肉痛は起こるかもしれないと言われた。今のところそういう症状はなさそうだが、10日間は激しい運動はしてはいけないと言われた。

 予防接種を受けてから30分ほど施設内に留まっているように、すぐに医師と連絡取れるところにいるようにと言われた。ソファーにゆっくりと腰掛けながら、ふと、人はリスクを負う者だと思わされた。そのリスクの度合いは様々な条件によって変わるだろうが。

 自動車に乗せてもらっている時、その車の整備状況、運転手の技術や経験、車種、高速か普通の道路か・・・などによって異なる。しかしともかくもリスクは避けられない。たとえ家の中にいたとしても何らかのリスクはある。地震か起こり、家具の下敷きになるかも知れない。道路際の家だったら車が突っ込んでくるかも知れない。あるいは強盗に襲われてケガをするか知れない。いやいや何かに躓いて足の骨を折るかも知れない。考えたら切りがない。

 昔、医療関係の仕事をしていたので、「リスク管理」ということが言われていた。日ごろから危険回避のための準備と注意を怠ってはならない。しかし日常生活の中でどのように危機を避けたらいいのか。私は予防接種を受けたが、10日間激しい運動をするなと言われたら、しないという注事項、約束事は守ると言うことだろう。あるいは、最近は地震についての情報が多く、確かに頻発しているように思う。そのための日ごろからの備えをしておく必要があるでしょう。車の運転をしているならばルールを守る。そういうことによってリスクはある程度下げることができる。しかしゼロにすることはできない。

 人間の努力、能力には限界がある。どこかで何かに自分の人生を委ねざるを得ない。何に委ねるのか、偶然に任せるのか。あるいはわけのわからない運命になのか。それとも聖書の神様になのか。

 旧約聖書にヨセフという人の物語がある。彼は親の偏愛のゆえに兄弟たちの嫉みをかい、売り飛ばされエジプトで奴隷となり、更に誤解されて牢屋へと放り込まれる。しかし彼の賜物であった夢解きの力を王様にかわれ、エジプトの宰相まで上り詰めることになる。そこに兄たちが飢饉を逃れてエジプトにやってくる。その兄たちを前にしてのヨセフの台詞は、父や兄たちが生き長らえるために、神が先に私をエジプトに送ったのだと言う。簡単に言える台詞ではないが、しかし人生のマイナスの面も積極的な意味で捉え、トータルに人生を見ていく時に、ヨセフは今の時を理解し、兄たちへの恨みを克服している。そこには神様に委ね切った者の姿があるように思う。

投稿者: 日時: 2007年09月27日(木) 23:59