2007年10月のアーカイブ

心のふるさとを

 こもり歌を広めようとしている方がおられる。昔から歌い続けられてきたこもり歌。それが今忘れられようとしている。まだ物心がつかないころから母親に聞かされてきたこもり歌。はっきり覚えてはいないが、しかしなにかしら歌い始めると歌う事ができる、そんな不思議な歌だということができる。幼い頃、母親に「ねんねこ」で「おんぶ」をされた記憶がある。その母親のぬくもりというようなものなのかも知れない。

 世の中はどんどん変わっていくが、しかしいつまでも変わらないで私たちの心の奥深く残っているのがこもり歌だといえる。こもり歌を聞いていると、心がせつなくなるという人がいるかも知れない。涙が流れてくるという人もいるかも知れない。そういうことというのは大切ではないかと思う。親子のふれあい、故郷への追憶、帰りたいと思うところがある。世の中がどんどん変わっていく中で、そのようないつまでも変わらないものを持ち続けることは、人への思いやり、暖かみのある人間関係を作り出していく上で大事なことだと思う。

 最近は、学校や公園などで子どもたちの声がうるさいという苦情が増えているのだそうだ。野球の練習で子どもたちが掛け声を出す。うるさいと言われる。プールで水泳の練習をしている。子どもたちの歓声がうるさい。地下にプールを作れとまで言われるそうだ。野球の練習で掛け声は出すものだ。声を出さないで練習をしているほうが異様な姿である。昔は路地から子供たちの騒ぐ声が聞こえてきた。路地でキャッチボールをする。縄跳びをする。ビー球やべったんで遊ぶ。そのような子どもたちの騒ぐ声が気にならなかった。なぜ気にならなかったのか。どこの子どもかということが分っていたから気にならなかったのでしょう。子どもの声が騒がしい、それだけ地域の関係が希薄になってきているということだと思う。だんだんとぎくしゃくした人間関係が増えてくる。子どもたちはむろん、人は他者との深いかかわりの中で生きているし、生かされている。そういう関係が失われてはいけない。

 私が兼任している教会で幼児洗礼が予定されている。先日にそのことについての両親への学びをした。難しい事はともかくとして、母親が乳飲み子を抱っこして、その耳元でお祈りをする。むろん乳飲み子は言葉が分からないが、しかし母親が祈っている神、その神の存在を体全体を通して感じ取っていくものだと思う。その母親の愛、その母親が信じる神の愛の御手の中で、その幼子は育まれていく。そのようにして幼子は魂の故郷を手にするのだ。こもり歌というのは母の祈りに似ているのかも知れない。ともかくも魂の「ふるさと」をえることこそ重要だと思う。そして地域社会が、子供たちが「ここが私のふるさと」と言えるようなところとなれば、そのような人との繋がりが生まれてくれば幸だと思う。しかしなによりも、私たちを根底から支えていてくださる、神との祈りの交わりがすべての土台だと思う。

投稿者: 日時: 23:45 |

人生の調整力

 正倉院の宝物が公開されるようですが、正倉院の創建の年は不明だが、天平年間(729~749)と推定されています。八世紀に建てられたようです。それから1,200年建ち続けてきた。高床式で40本の柱に支えられている。床の高さが2.7メートルあるそうだ。中は三室に分かれていて二層になっている。宝物を保存するためには温度と湿度が一定していることが重要で、そのために高床式が大きな役割を果たしている。中の宝物もキリの唐櫃に収められている。その唐櫃も上げ底になっていて、下からの湿気の影響を防いでいる。室内の気温と湿度は外気ほどに変化が少なく、唐櫃の中の気温と湿度はさらに変化が少ないといいます。まさに先人の知恵で、木の自然な調整力を使っているのです。今は新しく鉄筋コンクリート建の宝物倉が建てられて、宝物はそちらに移されているそうだ。しかしその新しい宝物倉は、近代的な空調設備があり、頑丈であっても、1,200年は建ち続けるのは難しいでしょう。そう考えると、人間が考え出したものよりも、自然の力の偉大さを思わされます。

 10月14日の午後に教会でバリトン歌手の時田直也氏をお招きしてコンサートを開きました。たくさんの方々が来てくださいました。時田さんは、全盲で生まれつきの盲目です。彼が生まれたとき、ご両親はたいへん悩んだそうですが、しかし父親が言われたそうだ、「お前が生まれてきてよかった」。素晴らしい愛の言葉です。世の中にこの親の言葉を聞くことのない子どももいるのだ。たとえ障害があったとしても、親の愛する子、全てをそのままに認め、受け入れ、感謝をする。そのようにして育てられた時田直也さんも、自ら語っています、「今、生かされている喜びと輝きを歌い続けてゆきたい」とです。あるがままを良しとして受け入れていく、人間の自然な姿でしょう。

 新約聖書のコリント信徒への手紙Ⅱ 11章30節「誇る必要があるなら、私の弱さにかかわる事柄を誇りましょう」とパウロが語っています。パウロには何か障害があったと言われています。何だったか明確ではありませんが、少なくとも「私の身に一つのとげが与えられました。・・・私を痛めつけるために、サタンから送られた使いです」と自ら語っているように、パウロをたいへん苦しめたのでしょう、その言葉から読み取ることができます。しかしその弱さを「誇る」と言っています。普通は自分の弱さについてそのような表現はしません。逆に、恥じて隠すのものですが、しかしパウロはそれをあるがままに受け止め、いや、それだけではなく、恵みとしてすら受け止めているように思います。

 パウロは以前、キリスト教会を迫害する者でしたが、ある日、復活したイエスと出会い回心をしますが、その時に光に照らされて一時的に目が見えなくなりました。その時の後遺症なのかもしれません。もし、そうだとしますと、その障害はイエスとであった証しであり、キリストの恵みにあずかったしるしだといえます。そしてそのようなパウロが神のごようのために用いられていくのです。そのような人生の使命があたえられるのです。

 確かにし障害があることは、時田直也氏が言われているように、不便ですが、しかし決して不幸ではないのです。神はあるがままを受け入れ、愛し、そしてその人なりの人生の意味を与えていてくださるのです。その自然な人の姿は自らのうちに人生を調整していく力が生まれてくるのではないでしょうか。

投稿者: 日時: 12:13 |

自由な発想を

 今年のプロ野球で面白いのは楽天が四位に上がったことだ。さすがに野村監督だという思いがする。昨日、今年一年間の楽天の足跡を監督や中心に活躍した選手の言葉を綴ってNHKでしていた。面白く見させてもらったが、そこで野村監督が選手たちに求めた事は、「考える野球」ということだ。それがなかなか浸透しないので、若手選手を起用していく。若手の方が監督の考えを受け入れやすいからだという。そこで21歳の捕手が130試合以上レギュラーで出ることになる。監督いわく、捕手を育てればチーム造りの半分は出来たと言えるというのだ。捕手だけは監督が直接に指導したという、それほど捕手というのはチームの要になるのだろう。そうして楽天は今年は四位となった。むろんそこには山﨑選手の誤算といえるような活躍があったからだともいえる。

 このバッターは何を待っているのか、それをよみ、裏をかいていく。あるいは日ごろから選手を観察し、その特徴をつかんでおく。バッター一人一人の特徴を把握しておく。それをもとに一つ一つの球を考えて配球する。そのときのピッチャーの出来も考慮しなければならない。大変な仕事だ。そのようなことが9人の選手がそれぞれの持ち場で十分になすことが出来たら強いチームになるだろう。

 いつかの読売新聞であったが、ホンダ自動車は研究開発に研究員の自由な発想というものを重要視しているようなことが書いてあった。しかしそれは厳しく、途中で投げ出すことを許さない。そうした中からアルミを加工して本当に軽くて排気ガス規制にも対応できるディーゼルエンジンが生まれたとあった。自動車メーカーとしては小さな光岡自動車が出している「オロチ」というスポーツカーは一千万円するのだそうだが、今注文すると何ヶ月かを待たなければ手元に届かないほどに売れているといいます。

 組織力も大切だと思うが、しかしその組織を構成している一人一人が自由に考える、発想ということが、たとえ組織力として小さくても、何か光るものを生み出せば、その組織は生き残れる。

 教会は個人の賜物の大切さということを言うが、それが本当に生かされているのか。それが実現していくためには、少なくとも教会に連なる者が、受身ではなく、キリストの体と言われる肢体の一部として、「私は教会のために何々をしたい」「私は教会のために何々ができる」「私は教会のために・・・・」という思いが必要だと思う。野村監督は「闘争心」を選手に要求したが、教会もある意味で戦っている。その要をなすのが役員会だ。役員会が教会の要。たのみますよ!!

 しかし幸いなことに教会は単なる組織ではない。神の聖霊が働かれる場所だ。人間の能力だけによってはいない。だからこそ安心して自分の賜物を差し出すことが出来る。少年が差し出した二匹の魚と五つのパンはイエスの祝福をいただいて五千人以上の人々の腹を満たしたのだ。そういうこともある。だから失敗を恐れないで、自由にあなたの賜物を教会に差し出してください。

野村監督も言っていた、「失敗を恐れるな」と。楽天、来年も楽しみです。ちなみに私は巨人ファンですが・・・。

投稿者: 日時: 14:47 |

希望は聖書の言葉に

9月30日に阪神壮年の集いで、吉本新喜劇で活躍された故岡 八郎氏の長女である市岡裕子さんをお迎えして集会を持ちました。彼女は、現在ゴスペルシンガーとして活躍しておられます。トークと歌の集会でしたが心打つものがありました。共にご奉仕をさせていただいた年配の先生が、集会が終わってから控え室で小さな声で「ゴスペルはいいね」と言われていたのが印象的でした。

 彼女は、高校生の時に母親を自殺で亡くし、そのために弟も父親の酒を飲み始め、そして体を壊し早死にしました。それらが父親のせいだと思いうらんでいたそうですが、しかしアメリカに歌の勉強に行った時にイエス様と出会いました。「どのような父親でも敬わなければならない」と黒人のおばちゃんに教えられたそうだ。そのイエス様との出会いが、故岡 八郎さんが、もう一度舞台に立ちたい、人を笑わせたいと願った、その願いのために一所懸命に支え、協力をさせたと言えるのではないかと思います。とても素晴らしい証しでした。

 途中で休憩があると聞いていたのですが、いっきに終わりまでトークと歌をこなされた。それがよかったと思いますが、お疲れであったと思います。でも集会には大勢の方々がきてくださいました。控え室での交わりの席で、市岡さんは「おとうちゃんが呼んでくれる」といって私たちを笑わせましたが、確かに、岡 八郎の名でこられていた人もおられたようだ。しかしいずれご自身の名前だけで、人を呼ぶようになられるでしょう。

 岡 八郎とキリスト教がどうして繋がるのかと不思議に思うことですが、この不思議さがおもしろいというか、大きな証しである。しかし誰しもこの不思議さを経験してきています。その岡 八郎とキリスト教を結びつけたのが、 「汝の父と母を敬え」と市岡さんが聞かれた聖書の言葉だと言えます。その聖書の言葉が父親と近づけさせた。岡 八郎さんは「イエッさん」と言われていたそうですが、亡くなられる直前に娘さんが読まれる聖書の言葉を聞きながら召されたそうです。

 キリシタン大名の有馬晴信は、息子の直純の裏切りもあって、晴信は死に追いやられる。その心の痛みは大きかったろうと思います。しかし彼は直純に当てて最後の手紙の中で、幾つかの忠告と息子を苛立たせたことをわびている。また晴信は、自分を死に至らせた者たちに対しても手紙を書き、わびてわだかまりを捨てて死にのぞんだ。

 聖書の言葉が閉ざされていた人と人との間の道を開いてくれます。それが思わぬ進展を見せてくれます。希望は神の言葉にあります。

投稿者: 日時: 10:15 |