東鳴尾ルーテル教会

祈りの手紙

勢井姉  私たちの教会員である、S姉妹が2001年9月に日本国際飢餓対策機構(JIFH)からペルー国際飢餓対策機構(FHI/Peru)に 派遣され、ウカヤリ県(ブラジル国境沿い)、プカルパ市内の貧しい人々が住む1つの村、ロス・プロセレスで活動しています。
 ここで2人のペルー人女性スタッフと、教育支援を中心とした世界里親会の働きと共に、村の人々と共に試行錯誤しながら、村全体の発展と向上のために活動しています。 そして、あらゆる機会を通して、聖書の御言葉を述べ伝える働きをしています。
 このページでは、S姉の現地からのレターの一部をご紹介して、その活動と現地ペルー・プカルパの現状を、皆さんにも知っていただければ感謝です。


ペルー通信
祈りの手紙 第16号

 支援者の皆様へ、お元気で春をお迎えでしょうか?年末年始のご挨拶をありがとう ございました。私は皆さんの暖かいご支援を受け元気で奉仕を続けています。ここで 皆さんに代わって主の御用をさせて頂く特権を心から感謝しています。いよいよ最終 年となり、計画されている様々なプログラムは一つ一つが最後になりますので、悔い が残らないように努めて行きたく日々、祈り願っています。現在、雨期が続くここプ カルパ市は、私が5年前に着任したときよりも随分と改良されてきています。特にこ の1年間ほどで急激な変化が見られます。以前、アスファルトの道路は市内の中心部 と国道の一部分だけでしたが、現在、市内から外へ向かって延びる道が、次々と舗装 されつつあります。砂挨がいつも蔓延する市内はこれから少しは改善されることでし ょう。私たちが活動するロス・プロセレスの村の道は、当分まだ先でしょうが。プカ ルパ市内での企業の投資も少しずつ増え、市の将来を見込んで昨年末、大手銀行が市 内で2つ目の支店を開きました。市の規模は大きいので、土地の利用価値がまだまだ 考えられます。では昨年末の手紙には書くことができなかった、幾つかの事柄をご報 告致します。


【補習授業の成果】
カリベくん  昨年9月と10月の毎週土曜日の午前中、学習が遅れている里子たちを対象にした補 習授業を例年の如く行いました。実際のところ、遅れていない里子たちも喜んで参加 しています。以前(2004年3月)、勉強がかなり遅れていた里子カリベ(写真右)のことを書き ました。彼は毎年、補習授業に出て、また日頃から努力していたことでしょう。その 結果、昨年末(学年末)の学校の成績は「優秀」のレベルに達しました。補習授業だけ でなく、FHIのプログラムには積極的に参加しています。10歳になった彼は背たけも 伸び、お母さんと2人暮らしで学校が休みのときには、母親と共に町で菓子を売り歩 いています。とても貧しい家庭環境にありながら、しっかりと勉強を続けてきたカリ ベに私たちは励まされました。

 もう一人のすばらしい成果を見せてくれた里子は現在12歳の女子でエネリー(写真左)です。 彼女は4-5年前、家庭の事情で住居が定まらず、学校にも定期的に行けなくて、殆 ど字が書けず簡単な計算もできない状況でした。1-2年後、母親とやっと村で共に 住むようになり、以後、毎年の補習授業に続けて来ていました。私たちは彼女が少し ずつ、皆に追いついてきているなあと感じていました。エネリーさん毎年の補習授業では必ず授業 の初めに聖書の学びがあり、暗唱聖句の時間もあります。さて、昨年、最後の授業の 日、過去2ケ月間、つまり8つの聖句を里子たちがどれほど暗唱できたかを競うコン テストがありました。司会者で同僚のエリカが「8つの聖句を言える人は前に出てき て」と促すと、エネリーが真っ先に手を挙げ、ついで他の2人の女子(彼女たちは日 頃から成績の良い里子たち)が手を挙げて出て来ました。私はこのとき、「エネリーは 何か勘違いをしているのではないだろうか、何で手を挙げたのか分かっているのだろう か、8つの聖句を覚えているなんて・・」と正直なところ怪訝に思っていました。そ して3人がそれぞれ、第1週目から始めて最後のその日の聖句を暗唱し終わりました が、全部、しっかりと覚えていたのは、エネリーだけでした。あと2人は6-7つを 覚えていました。私はこのとき、エネリーにどんなに驚かされ、また感動させられた か分かりません。4-5年前のあのおどおどとしたエネリーではなく、自信に満ちて 笑顔がいっぱいのエネリーに変わっています。私の手にあった、日本の友人から送っ てもらった、たくさんのぬいぐるみの中から中サイズのものを、ごほうびとして、3 人に渡しました。このとき、勿論、男子もいたのですが、残念ながら5つの聖句を言 えた子が最高で、ぬいぐるみは小さいものになりました。エネリーのことを初めから 知っている母親リーダーたちも、驚いていました。彼女の学期末の成績も「優秀」で した。今迄、補習授業を続けてきて良かったと思い、神様にこのような経験をさせて 頂いたことを感謝しました。


【母親リーダーの結婚式】
 里子カテリーナの母親であり、また私たちの良き協力者でもある女性、オルガは夫 と3人の子供がいます。洋裁の技術があり学校の教師たちの制服や、私も含め個人的 な注文を受けて評判の良い仕事をします。夫フランシスコもとても誠実な人物でコレ ヒオのガードマンとして働いています。彼らは最近、家計が少し落ち着いてきたため 「宗教儀式の結婚式」を挙げたいと願っていました。彼らは役所での「法的結婚式」 だけは挙げていました。こちらペルーでは一般的には両方の儀式を済ませて始めて 「結婚式を挙げた」と言います。貧しい人々はこの両方もしないで同棲となりますが、 特にたくさんの人々を招いて式を挙げ、また、ごちそうをするには多額(約300ドル 以上)の費用が掛かりますので、これをしない場合が多いです。オルガとフランシス コもそうして20年近く夫妻として生活してきました。でも昨年末、12月22日彼ら が籍を置くカトリック教会で、他の1組の熟年カップルと共に式を挙げました。休暇 中でプカルパにいなかった、ウイルダ以外、エリカ、母親リーダーたちと共に私も式に 出て、神様の彼らに対する豊かな祝福を感じることができました。以前、オルガは教 会へは形式的に通っていましたが、私たちとの週1回の聖書の学び、またFHIの様々 な機会を通して学び、霊的に大きく成長させられた一人です。彼女の変化によって夫 も変えられ、2人ともそのままカトリック教会で忠実な会員として留まっています。 司祭が司式を進めている間中、私は特別に神様からひとつのことを教えられている気 がしました。日本では「熟年離婚」が増えていると聞きました。また米国や他の国々 でもそうかも知れません。ここペルーでもたくさんの夫妻間の問題がありますが、こ のようにオルガとフランシスコ、また2年前に式を挙げたェドガーとソイラ(2006年 4月の手紙で紹介)のように、倦怠期を迎えると言われる時期に、神と人の前に互い の愛を誓うことは、容易なことではなかったと思います。でもお互いの愛を主イエス 様に対する信仰によって、再び強くむすび合わせられたからこそ新たな気持ちで誓う ことができたのでしょう。このような宣言をした目の前の2組の夫妻たちを尊敬し、 神様の豊かな祝福がありますようにと心から祈りました。

【新しい村長は元牧師】
 昨年10月で今まで約3年間(暫定期間を含み)村長として奉仕していたフスト・バ ロミノ氏が任期を終え、現在、新しい人が就任しています。新しい村長は30代のエリ ユード・テージョ氏で私がプカルパに着任した5年前、福音派の教会の牧師として奉 仕をしていました。里子ケニー・マテオの父親でもあります。ここ数年は一般信徒と して仕事を持ちながら教会で奉仕していましたが、現在は主に村長の奉仕に励んでい ます。彼は以前、自分の教会内のことだけを考えていたということでしたが、FHIが 催した研修や様々な活動を通して聖書的世界観を学び、教会が地域の人々のために積 極的に奉仕することを学んだため、彼の考えが変えられ、自分が住むこの村のために 何ができるだろうかと祈り考えるようになりました。そしてその結果、村長選挙に立 クリスマス祝会 候補して村長に選ばれました。私たち側としては、今迄フスト氏と大変良い関係で活 動を続けてきましたので、後任の村長にも是非ともFHIと良い関係を築き上げられる 人をと祈り願い、支援者の皆さんにもこのことをお願いしていましたから、その結果 として神様の大きなご配慮と恵みを頂き感謝しました。皆さんのお祈りをありがとう ございます。
 さて例年、村のクリスマスの行事にはFHIが先頭に立って地域の教会に呼びかけ たり、プログラムを考えたりしてきました。でも昨年はエリエード氏が教会に呼びかけ、 殆どのプログラムの運営と準備を教会の人々でやり遂げてくれました。18日の当日、 FHIは協力者として参加し里子たちのドラマや歌、振付けダンスなどに出演しました。 プログラムの最後にはエリエード氏がクリスマスのメッセージとして本当のクリスマ スの意味を語り、イエス・キリスト様の救いが全ての人々に与えられていることを信 じ受け入れるようにと力強く語りました。
 ちなみにプログラムの後、クリスマスには人々が食するチョコラターダ(ココア)と ビスコツチェ(甘いパン)を、里子を含む村の子供たち約1200人にFHIから分かつことが できました。

【最後のEBDV(休暇期間聖書学校)】
 今年に入って初めての行事EBDVが2月19日から22日までコレヒオ(学校のこと、 村では小、中、高校が一緒)内の多目的ホールと新しい校舎の一部を借りて行われまし た。今年で最後のEBDVは未だかつてなかったことが起こりました。それは4日間、 毎日150人近くかそれ以上の里子を含む村の子供たちが聖書を学び、賛美をして楽し い時を過ごしました。今迄こんなに大勢な子供たちが毎日来ることはなかったです。 特に中高生の里子たちは、今まで参加率が悪かったのですが、今回は全体の2割を占 めていました。彼らは学校の勉強や家計を助けるための仕事で忙しいことや、他のこ とに興味を持ち初めFHIのプログラムへの参加も疎かになります。私たちとしても青 年部が活発に参加するにはどうすれば良いのかと考える毎日です。ですから今回の彼 らの参加は嬉しかったです。教師や補助者たちは村の教会の青年たちや主婦たちでし た。このプログラムも来年から完全に村の教会に任されることになりますから、FHI から学んだことを生かして、子供たちのために毎年続けて欲しいものです。この期間、主 イエス・キリスト様を救い主として個人的に受け入れたのは里子たちを含めて28人 いました。既に半数の里子たちが主を受け入れて教会へつながっていますので幸いで す。3月から新学年が始まっています。彼らの学校や家庭での生活で、彼らが日々、 主に委ねていけますようにと祈る毎日です。

【ワヌコへの旅】
 私がリマへ行けば必ず、日曜日には日秘福音教会の礼拝に出席します。この教会は ペルー人のダニエル当山牧師と日本から川崎淳・亮子宣教師が家族と共に赴任してお られます。この教会は外部への援助活動を続けていますが、今回は新たな援助先の対 象となる一つの候補地ワヌコへ4泊5日の旅で訪ねることになり、私も参加させても らいました。西側のリマから8人が、東側のプカルパから私がそれぞれ、10時間掛け て、ほぼ中央に当たるワヌコへ集まりました。アンデス山脈を越えた西側にあるワヌ コは標高1,894mの高さで平均20度前後の気候でとても過ごし易く、観光地としても 有名です。ワヌコではプカルパと同様に以前たくさんの日本人が住んでいましたが、 現在は少なくなり、殆どが2世代以降の日系人で、現在は日系人会もなくなり、日本 人教会もありません。この人々への働きかけとして、ダニエル牧師たちは彼らに対す る福音伝道と共に、日系人同士の交流の復活なども考慮して、この機会に集まりを持 つことを計画していました。4軒の日系人の家庭や店舗を訪問し、夕食にお招きし楽 しいときを持ちました。殆どの人が日本語での会話が難しく、スペイン語ですが、私 たちが準備していた日本の懐かしい歌を歌うと「覚えている、あれも歌って」とリク エストもあり、私たちが覚えている範囲で歌いましたが、きっと昔、両親からでも教 えられていたのでしょう。プカルパの日本人女性のために、祈り働きかけている私に とっても、この交わりは貴重な経験で、ペルーの日系人のために、さらに何ができる だろうかと考える機会になりました。
 次いで援助先の場所と考えている、ケチユア語を話す人々のパチャチュパン村を訪 問しました。村長でもあり牧師でもある男性が車で案内して下さり、村で学校建築の 希望を持っている場所を3箇所、見学しました。村人たちは、どれか一つの土地を日 秘福音教会に提供し、学校建築の協力をして欲しいという希望があります。学校の建 設と運営は大変な資金とエネルギーが必要とされますので、神様のご計画はどういう ことなのか、十分に祈り話し合っていかなければなりません。
ワヌコの風景  最後に村人の14家族が協力して、栽培しているというアジサイ畑へ案内してもらい ました。村から10分ほど車で行き、そのあとは足場の悪い山道を徒歩で登って行き 15分ほど行くと、山の斜面にたくさんのアジサイが栽培されている場所に出て、感動 しました。2年前のカハマルカの旅で、日本人が始めたアジサイ園を見学し、そのと きのガイドが「ペルーではここでしかアジサイが咲いていない」と自慢していました が、カハマルカよりももっと規模が大きく、花はリマへ運ばれ売られているとのことで した。恐らくここのアジサイも日本人が始めたのではないかと考えられます。もとも と日本から西洋に紹介された花で、日本で古くから親しまれている花ですね。村のお 土産にアジサイの苗を全員がもらい、私はプカルパへ持って帰り、この苗を長谷川さ んに託しました。雨期にはプカルパにもアジサイの花が咲くようになれば嬉しいです が。他にもたくさんの出会いがあって、大変印象深く、また幸いな旅でした。


私はカリべやエネリーたちから大変教えられました。やはり御言葉にあるように「‥患難は忍耐を 生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出すことを知っているからである。そして希望は 失望に終ることはない。‥私たちに賜っている聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているか らである。」(ローマ書5:3-5)いつも主にあって希望を持つことがどんなに幸いなことでしょうか。 支援者の皆様の上にも同じような恵が豊かにありますようにと心から祈り願っています。



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