東鳴尾ルーテル教会

教理・信仰

私たちの教会について

東鳴尾ルーテル教会の沿革

 私たちの教会の始まりは、ドイツからのバベテ・フライシュマンという一人の女性宣教師から始まります。
 彼女は、中国で宣教活動をしていましたが、その中国が共産化されることによって、宣教することが出来なくなり来日し、 1952年にこの西宮の地で宣教を始めました。現在の教会が建っているところですが、当初「お化け屋敷」と呼ばれているようなところでした。 その後、更に宣教師が加えられ、この東鳴尾の地から神戸市へ、そして観音寺市(香川県)へと宣教が広がり、フェローシップ・ディコンリー福音教団が生まれて行きます。 東鳴尾教会も1956年12月に最初の10名の受洗が与えられて、教会が形作られていきました。その後、現在の会堂が1971年5月に献堂されました。 邦人の牧師も与えられ、現在の中島師が三代目の邦人牧師となり、宣教が宣教師から邦人へと引き継がれて行きました。
 教会は、礼拝を中心にしながら、様々な活動を積極的に進めて来ました。1985年から「こひつじ園」というナースリースクールも 始められています。また2001年~2007年末まで一人の女性が、ペルーで日本国際飢餓対策機構から派遣されて、世界里親会の活動もしています。 そのように様々な活動をしてきましたが、私たちの教会は宣教師たちによって養われてきた、家庭的で暖かな雰囲気をもった交わりとして、 共に信仰の歩みに励んでいます。

東鳴尾ルーテル教会の信仰的な立場

 私たちの教会は、旧新約聖書66巻がすべて神の霊感を受けて書かれた、誤りのない神の言葉として受け入れています。 そしてキリスト者の、信仰と生活の唯一の規範として信じ教えています。また信仰的に、1517年のマルティン・ルターによる宗教改革の流れの中にある 「ルター派教会」の信仰を引き継ぐものです。ルター派教会の三本柱とも言える「聖書のみ」「信仰のみ」「恵みのみ」を大切にしながら、 イエス・キリストの十字架の死による罪の赦しの御業と復活の事実に立って、共に信仰生活を送っています。
 しかし私たちの背景にあるドイツの教会は、神様との個人的な体験というものを大切にするグループで、その影響を私たちの教会は受けているので、 例えば礼拝は、いわゆるルーテル教会の式文を使わないで、福音的教会の一般的な礼拝形式を取っています。

宗教改革とは、ドイツで1517年10月31日に、アウグスティヌス修道会士であったマルティン・ルターが、 ヴィッテンベルグという町の教会の扉に95箇条の問題提起を書いた紙を張り付けたことに始まります。
それはローマ・カトリック教会に対して出されたもので、当時のカトリック教会が聖書の教えから離れてしまっていたので、 聖書の教えに立ち返ろうとする運動で、福音の再発見とも言えます。