変化をしていく中で

私は二週間ほど教会をあけていましたので、コラムを書くことが出来ませんでした。それは私たちの教会の中から、一人の女性がペルーのプカルパという町から車で30分のところにある、ロス・プロセレスという村で支援活動をしておられたので、そこを訪ねてきました。その村は、テロリストなどから逃げてきた人々によって自然に形成された村であります。ですから劣悪な状況の中にありましたが、彼女たちのような人々の活動を通して、彼らが自分たちの村を自分たちの手で作り上げていこうという気持ちを起こさせ、学校など様々な施設ができてきました。その様子を見てきたのですが、その働きはとても大きいものがありました。

 ペルーには「モトカー」と呼ばれるタクシーのような車があります。オートバイに人が二人ほど乗れる荷台をつけているのです。それがたくさんプカルパには走っています。「パッパー」と鳴らして朝早くから、夜遅くまで走っていて、私はその音で寝付かれませんでした。

 今回の旅行の帰りに、あるスーパーに立ち寄り、おもちゃ売り場で「モトカー」のミニカーはないかと捜しましたがありませんでした。私と一緒に店の中を見て歩いていたその方が、「モトカーは子供たちの夢にはならないでしょう」といわれました。確かに、そこに売られていたミニカーは、日本で売られているミニカーと変わらず、多くはスポーツカーのような高級車であり、またトラックなどの大きな車であります。

 「オールウエーズ」という映画がありますが、何か昭和の30代を思わせる懐かしい思いを与えてくれる映画です。ミゼット、三輪車が走っていた時代です。そうそうペルーだったか、ボリビアだったか忘れましたが、その懐かしいミゼットが走っていたのです。それには驚きました。

 ペルーの子供たちが、スポーツカーなど、そのような車に憧れ、それを実現していったとき。自分たちの目の前から、もし「モトカー」がなくなっている時代を迎えていたとしたら、年を重ねる中で、私たちがミゼットを懐かしく思うように、「モトカー」を懐かしく思い起すのかも知れません。古きよき時代として思い起すのかも知れません。

 今回の旅行でボリビアのチャヤという標高4,500mのところに住んでいる人々の村を訪ねました。現在は、そこには電気は来ていないのですが、しかしまもなく電気が来るようで、電信柱が置いてありました。電気が通ると彼らの生活は一変するでしょう。確かに必要なことです。そうすれば暖かいシャワーを浴びる事が出来、体を清潔にする事が出来ます。しかしそれと同時に、逆にその便利さに振り回され、生活を乱していくということも起こるかもしれません。それだけ人の心が便利さに振り回されない、自分たちの生活を保って行く心が育てられることが大切なのように思われます。

 私たちが昔のことを懐かしむことの中に、どこかに失ってきたものに対する思い、単なる物質的な物の変化、消えていった物に対する思いだけではなく、心の中の変化、失われてきたものにたいする思いがあるのではないでしようか。物質的な世界が変わっていっても変わることのないもの、聖書の言葉に心が養われていくことが、変わっていく世界に生きている私たちには大切なことのように思われます。

投稿者: 日時: 2007年11月14日(水) 13:25