2011年07月のアーカイブ

悪循環

 写真は鳥取刑務所の正面玄関です。以前は京都刑務所に行きましたが、そこは町中にある刑務所でしたが、鳥取は周りが田園風景で、日本海に近いところにありました。今の刑務所は定員オーバーで独房に二人入っていたりしています。なかなか厳しい環境です。部屋を見ますとウチワが置いてありましたが、風通しがわるそうで、作業が終わってから部屋に戻って過ごす時間は暑いだろうと思います。しかし救いなのは、夜になるときっと気温は下がるだろうなと思います。六人部屋に八人入っていて、窮屈そうである。


 作業しているところを見ましたが、静かに黙々と作業を続けていました。この刑務所には700名ほどが入っているのですが、その内の約22%が薬物関係の罪と言うことですが、最近は薬物犯が増えているのです。増えていると言えば老人が増えている、高齢化しているのです。

 ある刑務所でこんな話があったそうとです。老人の受刑者が出所近くなると精神的に不安定にあるそうです。イライラしてきて人とついぶつかってしまいます。そんな時、教官が“またここに帰ってきたらいいやないか”と言ったそうです。それが知れてかなりお叱りを受けたそうですが、しかしその受刑者は精神的に落ち着いたというのです。刑務所の中では作業をすると1時間当たり7円~46円の手当がもらえます。ですから何年入っているかによっても異なりますが、何万円かを持って出所するのです。しかしどうでしょうか。家もない、身寄りもない、仕事もないという中で、持って出たお金で何日暮らせるというのか。このままでは死んでしまいます。そこで彼は無銭飲食をしますが、店の主人が訴えないで外に放り出して終わりました。それで彼はコンビニに鉄パイプをもって強盗に入り、鉄パイプの重さにふらついて御用となります。そして再び彼は同じ刑務所に戻ってくることになりました。その彼を迎え入れた受刑者仲間が、彼の手を取って“無事に帰ってこれて良かったな”といったというのです。マンガのような話ですが本当にあったことだそうです。

 自由奔放に生きてきた彼らには福祉の網はかからないのです。彼らにとって刑務所が最後のセーフティネットになっているのです。むろん彼ら自身の責任によるのですが、しかしある意味で社会の在り方がそのような形を作ってしまっているといえるでしょう。家と職が必要と言うことになります。

 イエスの罪の赦しの御業を見ると病の癒しと罪の赦しの宣言が一緒になされているのを見ますが、そのことを考えると、赦しというのは口先だけの事柄ではなく、具体的な癒しが伴うということができます。これを社会的なレベルで展開させていくとするならば、悪循環をどこかでたちきるような仕組みを造られなければならないと思わされます。そのためにはかなりのエネルギーが必要とされます。そこで政治家の登場と言うことになるのですが・・・・。そこに力を注ぐことが安心・安全の社会に繋がるのだろうと思います。しかし、まあ根本的には本人によるところが大きいということでしょう。

 ともかくもキリストの罪の赦しは人を造り変えていきます。その典型的な例がパウロという人です。「かつて」はキリスト者を迫害し教会の敵でありましたが、そのような小さな者を神は捉えて、罪を赦し、「今や」そのキリストの福音を伝えるために命をかけて働く者と変えられました。パウロはガラテヤ1章で「かつては神の民ではなかったが、/今は神の民であり、/憐れみを受けなかったが、/今は憐れみを受けている」と語っています。「かつて」と「今」とを引き裂くようにして神が介入されることを語ります。この神の介入を与えられてこそ、人生も変わるというものです。キリストと出会う機会があれば大切にしてほしいと思いますね。

投稿者: 日時: 23:48 |

7月3日に思ったこと

7月3日の主日礼拝は、同じ教団内の救い主福音教会との合同の礼拝をしました。私たちの教会の方から救い主福音教会の方へ行ったのですが、私は、東鳴尾教会の会員の中には行かれない方もおられるので、いつもと同じように主日礼拝の御用を行いました。私を含めて11名の小さな礼拝でしたが、皆さんが一つに固まらなかったので、普段と違って本当に話しにくい礼拝になりました。それを通して感じたことは、聴衆というのは受け身になるのですが、礼拝に参加をするというのは、語り手のことも考えて座るということが、礼拝に参加をすることの第一歩だろうと思います。

礼拝が終わり、救い主福音教会に行ったのですが、そちらはまだ礼拝が終わっていませんでした。始まりが11時でしたので、そのずれもあるのですが、しかし東鳴尾教会での礼拝よりは、やはり少し長かったと思われます。終わったのが12時30分を少し回っていたように思います。日本では、長年多くの教会では礼拝開始時間を10時30分として守ってきました。よその教会のことですので私のいうことではないのですが、礼拝が終わるのが12時30分を過ぎてしまうというのは、午後の予定を考えると、何となく中途半端という気がします。なぜ多くの教会が10時30分の開始時間を守ってきたのかということについて、調べたことはありませんが、信徒たちの日常の生活のテンポとかスケジュール等が関係しているのでしょう。そういう意味で“伝統”というのは疎かには出来ないように思います。

午後から婦人と壮年に分かれて交わりをしました。婦人のほうはどんな話になったのか分かりませんが、壮年のほうはいつものことですが、葬儀の時にキリスト者としてどうしたらいいのか、という話がでました。“いつまで悩んでいるの!”と言いたい思いでしたが、“自分の旗頭をしっかりと掲げなさい”と言いたい。私たちはイエスに命を預けているわけですから、“私の覚悟”としてそういう思いを持ってほしいと思います。確かに様々な人間関係がありますが、それに振り回されていてはいけません。冠婚葬祭だけで人間関係が成り立っているわけでもなし、むしろ他の面で自分をアピールできることはいくらでもあるだろうし、いくらでも人間関係を造れる方法はあるだろうと思います。それよりも“私たちに何が出来るのか”その可能性について話しが出来ていけたらいいなぁ~と思いました。

この日に私が礼拝で話したことは、パウロがダマスコ途上で復活のイエスに出会って回心をしますが、その時にパウロは救いに入れられると同時に異邦人の使徒としての召命を受けました。その際に彼は“アラビアに退いた”とガラテヤ1章で語っています。その部分のお話でした。なぜパウロはアラビアに退いたのか。人間的なものを排除して、人の言葉や人間的な思いというものを排除して、ただ、神とのみ対峙し、神とのみ向き合って、神のご意思を確認する、あるいは確信するためにアラビアに退いたということです。この“アラビアに退く”ということが、パウロをしっかりと歩ませた源になっていると思います。これが私たちにも求められていることだと思います。

そこでパウロに示された一つのことが“母の胎内のある時から選び分けられていた”ということです。私たちが信仰者としてこのように生かされていることは、私たちが母の胎内にいる時から選ばれていたということが言えるということです。善も悪も分別が出来ないときから選ばれていたのです。生まれてからは、罪を重ねていくような者であった私たちを、言い尽くせない神の憐みが私たちの罪を赦し、そして務めを与えてくださっているのです。そのように理解するときに、何という恵みの内に生かされていることだろうか。それに精一杯お応えして行きたい、そんな思いにならないだろうか。

投稿者: 日時: 15:40 |