7月3日に思ったこと

7月3日の主日礼拝は、同じ教団内の救い主福音教会との合同の礼拝をしました。私たちの教会の方から救い主福音教会の方へ行ったのですが、私は、東鳴尾教会の会員の中には行かれない方もおられるので、いつもと同じように主日礼拝の御用を行いました。私を含めて11名の小さな礼拝でしたが、皆さんが一つに固まらなかったので、普段と違って本当に話しにくい礼拝になりました。それを通して感じたことは、聴衆というのは受け身になるのですが、礼拝に参加をするというのは、語り手のことも考えて座るということが、礼拝に参加をすることの第一歩だろうと思います。

礼拝が終わり、救い主福音教会に行ったのですが、そちらはまだ礼拝が終わっていませんでした。始まりが11時でしたので、そのずれもあるのですが、しかし東鳴尾教会での礼拝よりは、やはり少し長かったと思われます。終わったのが12時30分を少し回っていたように思います。日本では、長年多くの教会では礼拝開始時間を10時30分として守ってきました。よその教会のことですので私のいうことではないのですが、礼拝が終わるのが12時30分を過ぎてしまうというのは、午後の予定を考えると、何となく中途半端という気がします。なぜ多くの教会が10時30分の開始時間を守ってきたのかということについて、調べたことはありませんが、信徒たちの日常の生活のテンポとかスケジュール等が関係しているのでしょう。そういう意味で“伝統”というのは疎かには出来ないように思います。

午後から婦人と壮年に分かれて交わりをしました。婦人のほうはどんな話になったのか分かりませんが、壮年のほうはいつものことですが、葬儀の時にキリスト者としてどうしたらいいのか、という話がでました。“いつまで悩んでいるの!”と言いたい思いでしたが、“自分の旗頭をしっかりと掲げなさい”と言いたい。私たちはイエスに命を預けているわけですから、“私の覚悟”としてそういう思いを持ってほしいと思います。確かに様々な人間関係がありますが、それに振り回されていてはいけません。冠婚葬祭だけで人間関係が成り立っているわけでもなし、むしろ他の面で自分をアピールできることはいくらでもあるだろうし、いくらでも人間関係を造れる方法はあるだろうと思います。それよりも“私たちに何が出来るのか”その可能性について話しが出来ていけたらいいなぁ~と思いました。

この日に私が礼拝で話したことは、パウロがダマスコ途上で復活のイエスに出会って回心をしますが、その時にパウロは救いに入れられると同時に異邦人の使徒としての召命を受けました。その際に彼は“アラビアに退いた”とガラテヤ1章で語っています。その部分のお話でした。なぜパウロはアラビアに退いたのか。人間的なものを排除して、人の言葉や人間的な思いというものを排除して、ただ、神とのみ対峙し、神とのみ向き合って、神のご意思を確認する、あるいは確信するためにアラビアに退いたということです。この“アラビアに退く”ということが、パウロをしっかりと歩ませた源になっていると思います。これが私たちにも求められていることだと思います。

そこでパウロに示された一つのことが“母の胎内のある時から選び分けられていた”ということです。私たちが信仰者としてこのように生かされていることは、私たちが母の胎内にいる時から選ばれていたということが言えるということです。善も悪も分別が出来ないときから選ばれていたのです。生まれてからは、罪を重ねていくような者であった私たちを、言い尽くせない神の憐みが私たちの罪を赦し、そして務めを与えてくださっているのです。そのように理解するときに、何という恵みの内に生かされていることだろうか。それに精一杯お応えして行きたい、そんな思いにならないだろうか。

投稿者: 日時: 2011年07月04日(月) 15:40