自由な発想を

 今年のプロ野球で面白いのは楽天が四位に上がったことだ。さすがに野村監督だという思いがする。昨日、今年一年間の楽天の足跡を監督や中心に活躍した選手の言葉を綴ってNHKでしていた。面白く見させてもらったが、そこで野村監督が選手たちに求めた事は、「考える野球」ということだ。それがなかなか浸透しないので、若手選手を起用していく。若手の方が監督の考えを受け入れやすいからだという。そこで21歳の捕手が130試合以上レギュラーで出ることになる。監督いわく、捕手を育てればチーム造りの半分は出来たと言えるというのだ。捕手だけは監督が直接に指導したという、それほど捕手というのはチームの要になるのだろう。そうして楽天は今年は四位となった。むろんそこには山﨑選手の誤算といえるような活躍があったからだともいえる。

 このバッターは何を待っているのか、それをよみ、裏をかいていく。あるいは日ごろから選手を観察し、その特徴をつかんでおく。バッター一人一人の特徴を把握しておく。それをもとに一つ一つの球を考えて配球する。そのときのピッチャーの出来も考慮しなければならない。大変な仕事だ。そのようなことが9人の選手がそれぞれの持ち場で十分になすことが出来たら強いチームになるだろう。

 いつかの読売新聞であったが、ホンダ自動車は研究開発に研究員の自由な発想というものを重要視しているようなことが書いてあった。しかしそれは厳しく、途中で投げ出すことを許さない。そうした中からアルミを加工して本当に軽くて排気ガス規制にも対応できるディーゼルエンジンが生まれたとあった。自動車メーカーとしては小さな光岡自動車が出している「オロチ」というスポーツカーは一千万円するのだそうだが、今注文すると何ヶ月かを待たなければ手元に届かないほどに売れているといいます。

 組織力も大切だと思うが、しかしその組織を構成している一人一人が自由に考える、発想ということが、たとえ組織力として小さくても、何か光るものを生み出せば、その組織は生き残れる。

 教会は個人の賜物の大切さということを言うが、それが本当に生かされているのか。それが実現していくためには、少なくとも教会に連なる者が、受身ではなく、キリストの体と言われる肢体の一部として、「私は教会のために何々をしたい」「私は教会のために何々ができる」「私は教会のために・・・・」という思いが必要だと思う。野村監督は「闘争心」を選手に要求したが、教会もある意味で戦っている。その要をなすのが役員会だ。役員会が教会の要。たのみますよ!!

 しかし幸いなことに教会は単なる組織ではない。神の聖霊が働かれる場所だ。人間の能力だけによってはいない。だからこそ安心して自分の賜物を差し出すことが出来る。少年が差し出した二匹の魚と五つのパンはイエスの祝福をいただいて五千人以上の人々の腹を満たしたのだ。そういうこともある。だから失敗を恐れないで、自由にあなたの賜物を教会に差し出してください。

野村監督も言っていた、「失敗を恐れるな」と。楽天、来年も楽しみです。ちなみに私は巨人ファンですが・・・。

投稿者: 日時: 2007年10月09日(火) 14:47