丹波篠山のお米

 暑い日が続いています。最近、丹波篠山方面を歩いていますと、眼下に一面畑の風景が広がりました。汗だくになりながら歩いている時に何かホッとするような風景でした。ニュースによると今月から兵庫で取れた米も放射能検査をすると、井戸知事が語っていました。“検出されないことを確認することが大事”と。

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 昭和20年8月6日、8月9日と被爆体験をもつ日本ですが、それから66年またもや日本は、核の汚染を経験してしまいました。核の平和利用ということで、原子力発電所を善として推し進めてきたのですが、それが被曝と言うことを再び起こしてしまった。“核廃絶”、今回は原発を含めて核廃絶が訴えられました。

 でも、安全保障という面から、その能力は持ち続けるとのことです。あるいは原発の輸出は続けるのだろうか。

 今、“節電、節電”と言われているが、電力のありがたさを改めて知る。汗だくで歩いて、やっと電車に乗るとクーラーがきいているとホッとする。電力のない生活は当然考えられない。今の生活そのものが電力を必要としている。それだけに電力会社は、経済産業省との癒着云々と言われているだけに、また“やらせ”問題もあり、自ら謙虚であってほしいと願う。

 “保身”というのは私たちの心に常に忍び寄ってくるものです。ペトロという人は、ある時、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者から構成されているアンティオキア教会を訪ねました。キリストによって自由を与えられたペトロは、律法が定めている異邦人と食卓を共にすることを禁じている規定を破り、自由人として異邦人と共に食事の席についていました。そこにエルサレム教会から遣わされてきたユダヤ人キリスト者がやってくると、ペトロは、自分がエルサレム教会に帰った時に、仲間から何を言われるかわからない、批判されるかも知れないということを恐れて、異邦人と共に食事をすることをやめてしまいました。キリストの福音によって自由にされた、その生き方を貫く事が出来なかったのです。人の目を恐れて尻込みしてしまいました。保身のためです。

 キリストの弟子ですらそうですから、なおさらであります。ペトロはどれだけ異邦人キリスト者を傷つけたことか。

 提供する側も受ける側も“他者”を忘れてはいけませんね。

投稿者: 日時: 2011年08月11日(木) 17:07