偶像礼拝

 夏期学校が19日~20日と、天候はよくはなかったが、外でのプログラムも雨の合間をぬって行う事が出来ました。人は適当に入れかほりながらも続けられています。中には六年間続けて夏期学校に来てくれている子どももいます。どこまで教会と関わりを持ち続けることが出来るのか分かりませんけれども、教会として出来る事を最善を尽くせばいいと思っています。結果は神様に委ねて、ということですが。

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写真は工作している風景

 その夏期学校の中で食事の時に六年生の子にお祈りをしてもらいました。その子は六年間続けて夏期学校に来てくれている子です。しかし普段の教会学校に来ていません。あるいは就寝前に参加をした子どもたちと一緒にお祈りをしました。子どもたち、一人一人がたどたどしい言葉でお祈りをします。初めての経験、という子どももいます。そこでふとあることを思い出しました。

 イエズス会のインド管区長も務めた神学者でもあるフランシスコ・ロドリゲスが、1570年に「日本におけるパードレたちが諮問してきた諸事例への回答」という文書を書いているのですが、その中で偶像礼拝について論じている、そのことについてです。長い文章ですので引用はしませんが、要するに次のようなことを語っています。

 キリシタンは、異教徒である領主や親に伴って神社仏閣に赴いて偶像礼拝を外見上行うことが許されるのか否かという問題です。ロドリゲスは、領主や親に対して無礼な事をしてはいけないと説いています。ですから領主や親に仕えるということで外見上偶像礼拝を行う事は許されるとしています。ただし、キリシタンであることを告白しなければならないといっています。この時はまだ迫害が起こっていませんので、キリシタンであることを告白する事は可能であったわけです。キリシタンソということを明確にして、主人に奉仕するという形で、外見的に神社仏閣で拝むということを許しているわけです。占拠地で苦慮している宣教師の思いが見えてくるようです。

 またこんな話しもあります。豊後の大友は受洗しますが洗礼をまだ受けていないときの話しですが、大友が洗礼も受けていないのにミサ(聖餐式)に預かりたいと神父に申し出ます。彼はインド管区長、恐らくロドリゲスの前のクアドロス時代だと思いますが、彼にミサを授けるかどうかの教皇の許可を得ることについて審議すべき事を書き送っています。

 前者にしても、特に後者などは今日では議論の余地もないことで、許可など下りるものでもないし、恐らくその願いを聞いた聖職主のところでお断りをしているだろう。イエスズ会は日本の文化に合わせて宣教したといわれていますが、そこにまた彼らの苦悩があったと思われます。日本の文化に合わせてということは受け入れて、ということで、「受け入れる」ということは苦悩が伴うものです。そこで宣教地での神学を営んでいるのです。こんな話しをヨーロッパへ持っていけば、おそらく相手にもされないであろう。むしろ対決姿勢でいくほうが気が楽かも知れません。

 さて、夏期学校での食事の時のお祈りや就寝前のお祈りの話ですが、ロドリゲスの「日本におけるパードレたちが諮問してきた諸事例への回答」の中に出てくる偶像礼拝の、いわば逆のようなことを私たちもしていると言えます。お祈りをした子どもは信仰をもっているわけではありません。けれどもちゃんとお祈りをする事が出来ました。そのお祈りを聞いていて嬉しく思うわけですが。

 では、話しはそう単純ではないのですが、キリスト者が他の宗教行事に遭遇したらどうするのか。人それぞれだが、自ら主体的に判断をしなければならないのですが、他者のとった態度を見て単純に非難はできない。

投稿者: 日時: 2009年07月21日(火) 21:57