橋をかける

 古い映画を見たのですが、主演は、既に亡くなられていますが緒方拳であった。他に西田敏行などが出ていましたが、船が漂流してロシアに漂着します。何とか五~六名の者たちが生き残り、人々の協力を得て10年近くロシアで生活する事が出来、そして、ついに帰国する事が許されて、日本に帰る事になる。しかし、時は1790年代、鎖国の最中である。ロシア船は北海道に着き、通商条約を結ぶならば漂流民を返すと幕府に迫るのだが、それを拒否。彼らは上陸を許されなかった。開国されるまであと半世紀待たなければならない。しかし彼らはロシアで、“あなたがたに出合ったのは偶然とはいえ帰国のために尽くすのは私の使命”といって、病に倒れるまで力を尽くしてくれた一人のロシア人に出会っう。それはとても大きなことであった。政治家はこれを利用しようとするが、利害を越えて人と人との間にかけられる橋は、真の平和をもたらします。似たような話しが三浦綾子の“海嶺”という小説にあった。

 どちらの話しにもキリスト信仰の話しが出てくる。前者の場合はロシア正教であるが、洗礼を受けたので、帰国すると死罪になる。自ら帰国することを断念する。その男を演じているのが西田敏行であった。フルベッキという宣教師がやってくるが、彼は明治政府の顧問として働く。後に宣教の働きに専念するのだが、明治に“岩倉使節団”というのが米欧を訪問しますが、その原案を考えたのがフルベッキである。彼には一つの狙いがあった。それは“キリシタン禁令の高札”を撤廃させることであったのです。使節団が出発するころには高札は撤廃されていましたが。日本と欧米の間に橋をかけようとしたのである。

 新聞を見ていると、何日か前に近鉄のある駅で高校生が同級生を刺殺するという事件がありましたが、それについて、木造の橋の良さにかけて語られていましたが、殺そうと思い数日前から包丁を用意していた。憎しみ、恨み、殺そうと思うほどに深かったということですが、殺すに至るまでに流す道はなかったのか。誰にも“憎い”と思うことがあったと思う。多くの場合それが人を傷つけるまでに発展しないで、何らかの形で流してきた。そして簡易であっても人との間に橋をかけてきた。橋が流れればまた橋をかけてきた。人を赦すためには理由がいります。少なくとも“謝罪”という言葉が必要です。二人の間に何があったのか知らないが、お互いの間に橋をかける道はなかったのか、と思います。

 今年はプロテスタント・キリスト教が伝えられて150年。福音の橋をかけるべく宣教師たちが日本にやってきた。聖書の中に「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」という言葉がある。更に「敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいた」という言葉もある。

 神がご自身に背いていた人間、敵対していた人間との間に和解の橋をかけるために、独り子イエスを犠牲にしたということですが、神は人間を赦す合理的な理由がないにもかかわらず、いや人間を愛するというゆえに自ら大きな犠牲を払って橋をかけてくださった。

 こんな橋をかけてくださる方もおられるのだから、幾度となく橋が流される事があったとしても、幾度でも橋をかけていく努力を怠ってはならない。陸の孤島を造らないようにしなければならない。

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上の写真は、こひつじ園の子どもたちが、裸になって手に筆を持ち、紙の上にあがって、好きなように色を塗りたくったものだ。ぐちゃぐちゃになってしまったが、ピカソ顔負けの作品が完成した。独り独りの子どもが引いた線と線が折り重なっているのだ。ひょっとして宇宙から地上を見ればこのように見えるかも知れない。意味のないような線と線の集まりだが、しかしどれ一つとして絡み合わない線はない。聖書の神は和解の神と言われるが、関係の中で生きるのが本来の人の姿である。壊さないようにと思うが、しかし壊れる事もある。その時にこそ和解の神がおられることを思い起こそう。

投稿者: 日時: 2009年07月08日(水) 09:13