目に見える“しるし”

 2007年11月にペルーとボリビアを旅行しました。その時にご一緒させていただいた方の中に画家がおられて、旅行中も、ふと姿が見えないと思うと絵を書いておられたのですが、その方から時々メールを頂きます。今回も展覧会に出すために100号の絵を三枚かかれたとありました。一号が“はがき”の大きさで、その百倍ですから大作だと言えます。盛んに創作活動に励んでおられる様子がうかがえました

 その方の名古屋での展覧会のご案内のハガキを以前に頂いたことがあり、そのハガキにその方の絵が載っていましたが、明るい雰囲気で祈る女性の姿が描かれていたのを思い出します。その方らしいかな、そんな雰囲気のような気がしました。

 1517年に宗教改革が起こり、カトリック教会内に対抗改革がなされます。その柱は、今までの教義の再確認と前進ということです。そんな時代に生まれた修道会がイエズス会で、キリストの兵士という意味で、教育と宣教に力を注いだ修道会です。有名なのが“ロマーノ・コレジオ”で、今日“グレゴリオ大学”として残っています。日本では“上智大学”がそうですね。1549年に日本にきたザビエルもイエズス会士で、彼は本国に帰ることなく、中国でその生涯を閉じます。その宣教師たちと共に、当時の聖画などが日本に伝えられてきているのです。

 当時の聖画がどのようなものであったのかというと、対抗宗教改革を打ち出したのが“トレント公会議”で、聖画の修正がなされています。その内容は、不合理で不適切な聖画を拒否し、正統的、教義的、歴史的な正確さ、また正直な画像を勧め、聖堂への画像の設置にあたっては、聖職者の検閲を必要とするものでありました。聖画の破壊や、また行き過ぎた画像など世俗性を排除しようとしたのです。信徒を信仰へと導くという目的があるようです。

 イエズス会の創始者ロヨラの“霊操”の中に「見えるように場所を設定すること、ナザレからベツレヘムへの道を想像の目で見、道の長さと広さ、また平坦であるか、谷や丘を越えていくかを観察する。・・・観想における人物を見ること、すなわち、聖母マリア、ヨセフ、はしため、また誕生後のみどり子イエスを見る。さながらそこにいるかのように。」。ロヨラは、自らの住まいに宗教画の小コレクションを持ち、常にその前で祈ったと言う。この“霊操”を修道士の修行に使用した。そうすることによって確かに強い揺るがない精神が造られていくだろうと思う。

 浦上の隠れキリシタンに伝わる歌に、“沖に見えるはぱーぱの船よ、丸にやの字の帆が見える”というのがありますが、この“丸にやの字”というのはマリアのことで、宣教師がマリアの聖画を運んでくることを待ち望んだ歌である。それだけキリシタンの人々にとって聖画が信仰の養いのために大きな役割を果たしたということでしょう。

 最近は、静かな仏像ブームだそうです。若い女性たちがお寺に行く、不思議な気もするのですが、“心が安らぐ”とのこと。それだけ厳しい時代なのかもしれない。しかし、裏打ちのないものは一時的なもので終ってしまう可能性が大きい。

 目に見えるもので精神を高揚させるのも一つの手、高揚し続けることが出来れば、迫害にも死を恐れない精神も生まれるかも知れない。しかしどのような世相であっても、揺るがない信仰を得るためには、御言葉によってしっかりと裏うちされていなければ道を誤るかも知れない。聖画の前で祈る・・・・何かで自分を縛っていくような気がしてくる。ヨナの説教がニネベの人々のしるしとなり、彼らが悔い改めたように、私たちには、イエスの福音という御言葉のみが、目には見えないが“しるし”として与えられているのだと思います。

投稿者: 日時: 2009年03月10日(火) 15:16