土着

 宗教と芸術というものは切っても切れない関係にあります。例えば“音楽”もそうです。もともとは礼拝行為の中から神を讃美する歌、“グレゴリオ聖歌”が生まれ発展したきました。仏教では“声明”というのがあります。絵画もそうです。ギリシャ正教では“イコン”と呼ばれる聖画があり、カトリック教会でも“聖母像”が数多く描かれてきました。それは単に信仰者たちが楽しむためだけではなく、礼拝ということと深く関係しますし、“宣教”ということに直接関係してきます。

 ローマ・カトリック教会の法王ピウス11世(在位1922年~1939年)の言葉に下記のようなのがあります。
「キリスト教美術は統一されていなければならないが、画一的であってはならない。各地の人間性から生まれ、共通の目的に向かう芸術はすべてこれを受け入れること、ことなった文明を尊敬し、理解し、それをとおしてキリストの福音を生きた言葉で語れ、すべてキリストの世界に入ったものは対等であり、優劣はなく、その文化を生きる権利をもつ」。

 この言葉が法王の口から出までには数百年を経なければなりませんでした。この教皇の言葉を既に実践していたのが、16~17世紀の日本や中国の布教に深く関わったアレッサンドロ・ヴァリニアーノである。その国の文化に適合し重要な成果をあげたのです。

 日本では「無原罪の聖母」といわれるものがあり、日本髪を結い、和服を着ています。また中国では、ルカ・チェンという人による中国服を着た「謙遜の聖母」といわれる絵があります。日本には、仏教に、衆生の諸難を救うという母性を感じさせる観世音信仰があり、マリアを“マリア観音”などと隠れキリシタンの間では呼ばれたようで、日本人のメンタリティとして聖母崇拝に繋がるものがあったのかも知れません。

 メキシコのシンボルとまで言われている「グアダルーペの聖母」と言われているものがあります。一説によりますと、コルテスがメキシコを征服して10年後、1531年に、改宗した先住民にテペヤックの丘で聖母が現われて、それは太陽のように輝き、足の下は虹のようにきらめいていた。聖母から会堂を建てるように言われ、司教に伝えるがなかなか信じてもらえない。それで聖母が出現したときに季節外れの薔薇が咲いていたので、それを司教のところに持っていくと、聖母像に変わっていた。それでテベヤックの丘に聖堂を建て、そこに聖母像を安置したのが現在に伝えられている「グアダルーペの聖母」と言われるものです。その史実性はともかくとして、先住民は多神教で、テベヤックの丘には大地母神トナンツィンを祀る神殿がもともとあって、その信仰と聖母像の崇拝に繋がったのではないかと考えられている。

 聖書には、マリアはイエスの母という以外は尊敬すべきことは何も書いていない。それなのにカトリックは聖書にないマリアの崇敬を必要としたのかということについて、ヨーロッパの文明には母系性があったと言われています。多くの母神が存在したというわけです。そういう中でキリスト教が根付いていくためにマリア崇拝が必要であったというわけです。

 いわばマリア崇拝は信仰を土着させていくための一つの手段であったともみることが出来ます。二次的なこと、三次的なことを通して普遍的なものに、本質的なものにつなげていく。“適応”あるいは“融合”ということを通して宣教をしてきたカトリック教会の側面を見ることが出来るように思います。

 ある牧師から十字架を頂きました。その先生は病んで人々の所に尋ねていかれて、その十字架を握らせて祈り、また止めるところに十字架を当てて祈ってこられた。そのようにして人々の魂を癒してこられた、その十字架を頂いたのです、私の机の上にぶら下げていますが。私には正直言って抵抗があり、そこまでの信仰がないのですが。でも、考えてみると、いわゆる福音派の一部の人々もしている“オリーブ油を塗る”という行為も似たものといえるでしょう。カトリック教会にはたくさんの飾り物がついていますが、私たちは本質的なものに注視しすぎて、それに人々をつなげていく手段というものを殺ぎ落としすぎたのかも知れません。

投稿者: 日時: 2009年03月02日(月) 17:52