不安

 ベトナムの人が礼拝に来られました。彼は、タイル職人の研修生として3年間の予定で、今年の5月に来日しました。教会の近くの店で働いています。朝から晩まで働いて、夜にベトナムから持ってきた日本語の本で、同室のもう一人のベトナムからの研修生と二人で、日本語を勉強している。誰かが教えてくれるわけではない。なかなかコミュニケーションが取れない中で、仕事を覚えようとしているようだ。迎え入れたほうも大変だなと思う。

 それでも、カタコトの日本語は出来る。ベトナムでは家族そろって教会にいっていた。おそらくカトリック教会だと思われるが? 何度も同じことを繰り返して聞き、また話しをして、何とかお互いに理解できる状態である。その彼が、讃美歌を一緒に歌い、説教を聞き、祈りを聞きます。おそらくほとんど分からなかったでしょう。その日は、恵老の日(敬老の日)の礼拝であったので、昼食会は寿司で、オカリナの演奏もありました。彼は、その間、一緒に過ごした。それにテーブルを運んだり、配膳したり、よく手伝ってくれました。それに、私は午後から出かけないといけなかったのですが、青年たちが残って教会で遊んでいたので、彼も帰らないで一緒に遊んでいたようだ。

 言葉がほとんど通じないのに、何かしらないが、彼はみんなと一緒に過ごしていた。

 私は、午後から阪神間の諸教会の協力の働きで壮年の集いの実行委員長を務めているので、その集会のためにでかけた。止揚学園の福井達雨氏を迎えての集会でした。この集会に私は期待と不安がありました。集会時間が長くなり過ぎないか、先生ご自身も認識しておられるようですが、などなど。しかし、れらは吹っ飛んでしまった。

 先生のお話しの内容と止揚シスターズの讃美、それがピタットと合い、神様の愛、そして私たちの他者への愛が語られた。話しの中に引き込まれるようで。時間もほぼよい手通りに終わった。とてもいい集会になりました。恵まれた一時であった。
 
福井先生の話しの流れの中に、止揚シスターズの讃美がところどころに入るのですが、まったく打ち合わせをしていないとのこと。先生も会衆の様子を見ながら、自由に話しを途中で変えてしまうところがあるようで、この歌を歌ってくださいと、突然に言う。それにあわせて止揚シスターズの方が歌う。かなりの数の曲を彼女たちは覚えているようで、時には、使わなくなっている曲を突然に言われることがあり、その時は大変のようだ。そのような中での集会でした。一回、一回、神様の導きの集いになる。

 集会後、夕食をともにしながら、うちとけた楽しい交わりであった。先生も今回の集いを喜んでくたさった。朝からの礼拝から始まった今日の一日を振り返りつつ、感謝して家路についた。

投稿者: 日時: 2008年09月29日(月) 22:31