2008年05月のアーカイブ

比較

 少し動けば汗ばむ季節ですが、そろそろ熱射病に気をつけなければならないのですが、しかし出かけるにはとてもいい季節だと思います。どこかの田舎道をぼちぼち歩くのもいい。街に住む者にとって、ホッと一息つくときです。道を歩いているとどこか離れたところで雑草を刈る音が聞えてきます。ひとけもなく、しかしどこからか子どもが飛び出してくると、私を顔を見て「こんにちは」と挨拶をします。街ではこんなことはない。人とであっても知り合い同士でないと挨拶はしないものです。でも、田舎では自然に人を見ると挨拶をします。人が少ないからでしょうか? 人に関心があるのでしょうか? こちらの小学校では「挨拶運動」をしていて、今年初めて私は自治会の役員に選ばれたのですが、その挨拶運動に出る日が決められています。わざわざ人為的に作らなければ挨拶が出来ない。人が多いからでしょうか? 人に対して無関心なのでしょうか? これも変ですね。確かに表面的ではありますが、「挨拶」に限って言えば田舎の子、街の子とは違う、そんな気がします。

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 子どもというのは環境の影響というのを強く受けると思いますので、その子ども自身の問題ではなく、子どもを取り巻く状況の違いということになるのかも知れません。じゃあ、「街」というところは「田舎」に比べてわるいところなのか、そんな簡単に比較はできない。たまたまであった子どもがそうであったのかも知れない。

 「比較」比較をする時は気をつけなければならない。特に人に関係することは、です。私は弱視なのだが、「目が見えない人に比べていいわね」と言われてきました。確かにそうだが、しかし私は思うのだが、弱視と全盲とは違う、比べられない面を思っているように思います。障害で苦労する事柄が違うのです。それは一概に比較して症状が軽いから良いとは言えない側面を持っています。何事にしてもそうだと思いますが、「苦しみ」というのは比較できない。その人にとってその苦しみがすべてなのですから。自分しか経験していないのですから。

 イサヤ43章4節に次のようなことばがあります。「 わたしの目にあなたは価高く、貴く/わたしはあなたを愛し」。これは神様の御言葉ですが、「あなたは」と単数形で語りかけておられます。あなた自身がどうであれ、あなたは神の目に高価で貴く見えているのです。他者と比較してではないのです。この私のところに神が人となって、キリストとなってきてくださった。私と同じ人になられました。私を知り、私の真の友人となるためにです。

投稿者: 日時: 15:33 |

神戸観光

 5月の連休のある一日、親戚の者たちを案内して神戸に行きました。こんなこともなければ恐らく私たちも行くことはないと思うが、まず船に乗り、明石大橋の手前まで行きました。その後、ポートタワー、バスに乗り北野の異人館を見て回りました。彼らにとっては始めての観光であったと思います。ポートタワー、異人館。異人館は以前にも行ったことはあるが、フランス館だったでしょうか、ガレの作品や古ピアノなど、様々な美術品や骨董品が展示していました。そのピアノでどんな曲が弾かれたのだろう。恐らく讃美歌も奏でられたことであろう。神戸の歴史の一コマを今に伝えている。

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 神学校の依頼で書評を書かなければならないのだが、どうもなかなかその気にならないで困っている。皆川達夫著の「洋楽渡来考~キリシタン音楽の栄光と挫折~」を書く予定である。ザビエルが日本にきて依頼、多くの宣教師が送られてくるとともに、西洋の音楽が日本に伝えられた。むろん教会音楽であるが、しかし今日、そのことについて詳しくは分からない。多くの記録の中に日本に教会が建てられ、そこで礼拝の時にオルガンなどによって演奏され、また合唱がなされ、日本人によっても演奏されたり、歌われたとされている。しかし、竹でオルガンが作られたという記録があるが現存していない。また楽譜も残っていない。かろうじて日本から持ち出されたものが残っていたので、それによって当時を偲ぶことができるだけである。徹底的に破壊されたので何も残らなかったのだろう。

 教会の側にも問題があったと思う。具体的に、この礼拝の時にはこの曲が演奏され、また歌われたという具体的な曲目の記録がない。それは宣教の成果ということに重点が置かれて、音楽は讃美歌といえども添え物のように考えられていたから、具体的な曲目を書き残すことはなかったのである。しかし名脇役がいてこそ主役も生きてくるものだと思うのだが。

 1605年、長崎のコレジオで印刷された「サクラメンタ堤要」というのがあるが、これは秘跡の執行の仕方を教えているもので、中に葬儀や高位聖職者を迎えるための典礼聖歌が入っている。専門的な訓練を受けたものだけが歌える歌で、これを日本人が歌っていたという。コレジオなどで学んだ者たちが歌ったと思われるが、音楽の水準の高さを感じる。それがCDで出されている。当時、既に同じものが海外にもあったが、長崎版と同じものはなく、むろん重なる部分もあるが、日本独自のものが作製されたようだ。なにを考慮して日本独自のものを作ったのだろう。興味のあるところである。

 これらはラテン語で歌われたのだが、生月島に「歌オラショ」が残っているが、これらもラテン語である。迫害下の隠れキリシタンたちが意味もわからず歌い継いできたわけだが、どれだけの信仰の励みとなったのだろう。疑問を感じる。しかしこんな歌も伝えられている。
「だんぢく様の歌」
あー 参ろうやな 参ろうやなあ
パライゾの寺にぞ参ろうやなあ
パライゾの寺とは申するやなあ
広いな寺とは申するやなあ
広いな狭いは わが胸にあるぞやなあ

これは「歌オラショ」ではないのだが、迫害下にキリシタンの心情を歌ったものである。

 神戸にキリスト教が定着をしている。神戸の一つの風景とすらなっていると言える。いや、単なる風景ではなく、脈々と信仰の息づいている。ちなみにその神戸で私も信仰を得たのである。またいつの日か迫害が来るかもしれない。内にしっかりと歌い継ぐべきものを持っておきたいものである。

投稿者: 日時: 00:13 |