人間とは何者か Ⅳ

 私の母は長崎の出身で、子供のころに原爆の話しをしてくれたので、それを映像として目に思い描くことが出来ます。母は、兄弟を原爆で二人亡くしているようで、母自身は原爆が落ちてから、時期的には分からないが、長崎に入ったようです。その時の風景を話してくれたのです。あの長崎の鐘の永井博士のことも少し知っていたようです。私自身は戦後に生まれていますので、戦争時の生活ぶりなどは知る由もないのですが。そういう話しを親から聞かせてもらったということは貴重なこと、大切なことであったと思います。私の親は、平和のことについてどうしても子供たちに考えてもらわないといけないから、というような意識をもって教えたのではなく、ただ、自然な形で、自分たちの体験として話しをしてくれたのだと思います。しかしそれを聞かされた私のほうとしては平和であることを願う思いが生まれてきたのだろうと思います。やむをえないことですが、年とともに実際に体験をした人々の生の声が聞けなくなっていくことは残念だと思います。それだけに私たちは意識的に平和について考えていかなければならないでしょう。

 多くの一般市民を殺すことを目的とした原爆を投下するというのは犯罪だと思いますし、また逆に南京虐殺など、日本がその犯罪の加害者にもなっています。戦争とはそういうもの。「よくそんなことができるな!」ということがあるように思います。むろんきれいな戦争などはないのですが。人間性を失わせるものです。何かこのような表現によって国家としての責任を希薄にするというつもりはないのですが、ただ、人間が共通して持っている暗闇の部分が見えてくるような気がします。

 人間が持っている闇の分部というのは、時に聖なる事柄と思えることのなかにも頭をもたげてくるものであります。祈祷会でローマ書を学び始めたのですが、パウロは宗教的信念をもって生きていました。キリスト者抹殺こそ神への忠実な行為だと信じていたのです。しかしそこで起こっていることは何かと言えば、律法を守りぬこうとする熱心さが、憎しみと殺意を生んでいるということです。宗教的な自己主張の何ものでもないのです。もし主イエスがキリストだったらどうするのか。あのステファノの死、「主よ、私の霊をお受けください」「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と祈る姿。これは宗教的エゴイズムと違います。憎悪と殺意に対していたのは、罪を背負う愛、キリストの愛でありまた。ダマスコに向かうパウロは、このステファノの姿に、意識にはまだのぼらないけれども、「もしかして」という思いがあったのかも知れません。自らの矛盾を感じ取っていたのかも知れません。そのようなおり、復活の主イエスと接するのです。彼の行動は、実は逆に、真実に背くことをしてしまっていたのです。生前のイエスを知らないパウロですが、復活のイエスを宣べ伝え、キリストの道を証しするキリスト者は知っていました。いや対立していました。それはイエスを十字架に追いやった人たちと同質の罪がそこにありました。その自覚からキリストに生きるパウロが生まれてきたと言えるかも知れません。

 人間とは複雑なものです。どのような形で闇の分部をさらけ出しているのか分りません。8月になれば「平和祈念」ということが言われます。それも大切なことです。しかし平和の神様の御言葉の前に、改めて謙虚に心を開く、そのことを新にされる、そういうときでもあってほしいと願います。そこから私にできることが始まっていくように思います。

投稿者: 日時: 2007年07月24日(火) 15:34