人間とは何者か Ⅲ

 今週の月曜日に私たちの教会員で声楽をしておられる方がいて、その方を含めた何人かによるコンサートがありました。チケットを買って行くつもりでしたが、私が兼任する教会の会員が召されたので行く事が出来ませんでした。その召された方の愛唱歌が讃美歌404番(山路越えて)です。その讃美歌はその方が若いころに聞いた事があって、深く心に残っていたといいます。宇和島での伝道を終えて法華津峠を通って松山に帰る、その心境を歌ったものです。その旅の歌が人生の歌として心に残ったのでしょう。

 音楽というものは不思議なもので、人の心をとらえ、内にあるものを自由に外に解放していく力があります。音楽をもたない民族はないと思いますし、また音楽と宗教との関係も深いものがあります。旧約聖書の創世記4章21節「その弟はユバルといい、竪琴や笛を奏でる者すべての先祖となった」とあります。そこから始まり、旧約聖書や新約聖書に礼拝で歌われたであろう讃美歌が記されています。そしてキリスト教会の歴史の中で多くの作詞家や作曲家を生み出してきています。

 ザビエルが日本にきたのが1549年で、その時には楽器を持参した形跡はないようです。しかし1551年2月に山口で伝道することを願い、その許可をもらうために大名大内義隆にみやげ物を持って会っています。その中に「十三ノ琴ノ糸ヒカザルニ五調子十二調子ヲ吟ズル」と言われる楽器が含まれています。どういう楽器かは不明であるが。オルガンが日本に輸入されたのは1580年ごろといわれていますが、驚きなのは日本製のオルガンがあったというのです。1596年にポルトガル船長メンデスという人がセミナリョを訪ねて「噂のように竹のオルガンがあるものならば、自分の眼で見、自分の手で触りたいと、それを見、触り、その音を聞いたとき、少なからぬ驚嘆を禁じえなかった」と述べたと言われています。1600年前後には主だった教会にはオルガンがあったと言います。竹のオルガンはどれだけ作られたのか分かりませんが、どのような音色を奏でたのか、心がわくわくします。そのオルガンで礼拝を守ってみたい、そんな思いが生まれてきます。

 こんな歌が伝えられています。「あ~参ろうやな、参ろうやなあ、パライゾの寺にぞ参ろうやなあ、パライゾの寺とは申するかなあ、広いな狭いは、わが胸にあるぞやなあ。あ~しばた山、しばた山なあ、今はな涙の先き(谷)なるやなあ、先はなあ、助かる道であるぞやなあ」。殉教の歌と言われていますが、処刑されるときに天国を臨んで歌ったのかも知れません。その心の底からの魂の歌は、極限状態の中でもその信仰をささえる勇気を与えたのでしょう。詩篇103編に「わが魂よ、主をたたえよ」と二回繰り返されています。そのように、心の中でこの歌を何度も何度も繰り返して歌ってみたら、何かしら心が暖かくなり、慰められ、励まされるような気持になります。神に向かう魂の歌は、人を生き返らせてくれます。

投稿者: 日時: 2007年07月19日(木) 18:58