二つの極限状態

 昨年の3月11日に東日本大震災がありましたが、そのこともあって、今、フランクルの「夜と霧」という本が注目されています。NHKの教育放送でも取り上げられて、何回かに分けられて、その本の内容が放送されています。

 一回目、二回目と私は見ました。極限状態のなかで人は生きられるのか、生きれるとすればどういきるのか、アウシュビッツを生き残った人の言葉はたいへん重いものがありますが、今日の私たちにも大きな示唆を与えてくれています。それは彼が経験したことは、特殊で、今の私たちが経験しえないことだと思われるかもしれないが、そうではなく、彼の経験は、今の私たちにも通じるものがたくさんあるということです。実際に、この本の中の言葉で励ましを受けた方もおられると言います。だからこそ注目されるのです。

 極限状態のなかでフランクルが注目した人たちがいました。それは祈りをしている人、オペラを歌っている人です。即ち心の豊かな人、その人たちが生き残るというのです。収容所では、毎日、毎日、厳しい労働が続き、食べ物も乏しく、周りでは仲間が次から次へと死んでいく、このような過酷な状況が永遠に続くかのように思える、そこでは生きていく勇気などは待ち得ないだろう。そんな中で祈りがなされ、また歌が歌われる。フランクルが言っている、人生に何も期待できない時でも、人生があなたに何かを期待している。何か忘れていることはないか、誰かが待っていないだろうか。

 話は変わりますが、キリシタンの時代、厳しい迫害の時代を生きた人たちがいた。彼らを支えていたものは何か。

 キリシタン時代に、コンフラリアと言われる信徒のみによって構成された共同体が組織されました。特に迫害がはじまりますと、それが、彼らが長期サバイバルを生きていく上で支えとなりした。しかし、彼らを生かしたのはそれだけではありません。隠れキリシタンたちの間に「伝道士バスティアンの予言」というのが伝わっていました。

 バスティアンというのは日本人で、明確には分からないのだが、佐賀藩深堀領平山郷の人だとされています。彼は教会で働いていたのですが、ひょっとして看坊であったのかも知れない。彼は宣教師ジワンから「日繰り」(キリシタンの歴)について教えてもらいますがよく理解できなかった。宣教師も帰ってしまい、それで彼は21日間断食して「もう一度返ってきて教えてほしい」と祈りました。すると幻の内にジワンが現れて教えてくれたと言うのです。そしてジワンは海上を歩いて帰って行ったというのです。その「バスティアン様の日繰り」を守ることによって隠れキリシタンたちは信仰を伝承していったのです。

 その彼の言葉が佐賀藩などの隠れキリシタンの間に伝わっていたのが以下の四つです。
①お前たちは七代まで我が子とみなすが、それからあとはアニマ(霊魂)の助かりが困難になる。
②コンヘソーロ(聴罪司祭)が、大きな黒船に乗ってやってくる。毎週でもコンヒサン(告解)ができる。
③どこでも大声でキリシタンの歌を歌って歩ける時代が来る。
④道でゼンチョ(異教徒)に出会うと、先方が道をゆずるようになる。

 いずれ大きな声で讃美歌を歌える日がくるということで、250年、七代に渡って信仰を伝承して行きます。彼らは僅かしかない信仰の言葉を心にしっかり持ちながら、それに向って生きたのです。

 フランクルは収容所の中で、僅かしかない自分のパンを弱っている人に分け与える人の姿を見ます。人は何を信じ、どう生きるのか、どのような状況の中でも人は選べるのです。


看坊:教会の管理をしていた人。宣教師がなかなか教会に来れないので、彼らが信徒たちを育てて    いたのです。

参考文献
V.E.フランクル著 「夜と霧」 みすず書房 
五野井隆史著 「キリシタンの文化」 吉川弘文館

投稿者: 日時: 2012年08月11日(土) 15:53