クリスマスシーズン

 クリスマスの季節で忙しく過ごしていますが、次の日曜日の夜のクリスマス祝会で、教会のすべてのクリスマス関係の集会は終わります。

 14日は子どものクリスマス会でした。子ども60人、大人20人が出席してくださって楽しいひと時でした。小学校の前で200枚ほどチラシを配布し、またこひつじ園をしているので、卒園者や夏のキャンプに来た子どもたちなどにも案内を送付したりしました。そうした中で集まってきてくれた子どもたちです。お話しやハンドヘルやゲーム、そして映画などをして、帰りにはささやかなプレゼントを手渡しました。
CAM_0161.JPG
CAM_0163.JPG
 さあ、子どもたちの心に何が残ったのだろうか。少なくとも子どもたちは何度も“イエス様”という名前は聞いたことは確かです。そのイエス様というのが神様だということも何度も聞いた。そしてイエス様が二千年前にお生まれになった。このこともお話しや映画でも聞いた。でも、その方と自分がとんな関係にあるのか、そこは難しかったかも知れない。でも神様は私たちに関心を持ってくれている、私に注目してくれている、ということは何となく分かったかも知れません。それを信じてほしい。何度も教会に来ている子どもたちもたくさん来てくれていたし、また初めて来た子どもたちもいた。とにかく継続して福音に触れていくのが大事だと思います。

 こひつじ園のクリスマス会も終わりました。子どもたちの演技、お母さんたちのハンドベル、ゲーム、そして子どもたちとお母さんたちのプレゼント交換、楽しいひと時でした。このこひつじ園も20年以上続けられてきました。その間、福音の種が蒔き続けられてきました。イザヤ55:11に次のような御言葉があります。「そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も/むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ/わたしが与えた使命を必ず果たす。」とです。何らかの結果が出ることを信じて福音の種を蒔き続けたいものです。
CAM_0166.JPG
CAM_0171.JPG
CAM_0174.JPG
 このような神への信頼は、御言葉の正しい理解からくると思います。このクリスマス祝会にゴスペルのゲストの方々が来られるのですが、私たちの礼拝にも共にしてくださって感謝しているのですが、その時に、私たちの礼拝を経験された“カトリック的”と言われて、私は唖然としました。何処を見てカトリック的というのかと思いましたが、私たちは式文を使う礼拝ではなく、オーソドックスな礼拝です。もし私たちの礼拝がカトリック的だと言うならば、多くのプロテスタント教会の礼拝がカトリック的ということになるだろう。これって悪いけれど失礼だと思うのですね。これから活動を広げていかれるのならば、正しく礼拝とは何かを理解しないと、トンチンカンなことになってしまいます。

 まあ、このクリスマスの時、神は人となられて私たちのところまで降りてきてくださったのだ。多少の誤解も赦せるが、しかし聖書の言葉に対しては誠実に取り組むべきでしょう。それが神との正しい関係の要だからです。神との関係がトンチンカンにならないようにしたいものです。

投稿者: 日時: 2008年12月17日(水) 17:23