人間とは何者かⅠ

 とりとめもない話しを綴って行くことになるかも知れませんが、皆さんのキリスト教信仰を理解する上での一助になればと思い、また教会の交わりについて少しでも興味を持って頂くきっかけになればと願っています。
1、人間とは何者かⅠ
 何か哲学的なことを述べようと思っていません。しかし人間は根本的な問いを発するものです。例えば、ある雑誌に「人間はなぜ働くのか」という問いに対して、第一に「収入を得て安定した生活基盤を整える」を挙げていました。それは大きな理由です。しかし人が働くのはそのためだけではないように思います。金儲けのためだけでは何か空しいものが心に残るだろう。「自分はこの分野で自分の能力を発揮してみたい」という思いもあります。更には「人のために、社会のために何か役に立てば」そんな思いもあるかもしれません。向上心、責任感そんなものかきたてられてこそ充足感というものが生まれてくるものです。これが働く事の説明になるかどうか分りませんが、不思議に人は単に物質的なものだけでは満足しないものを持っています。
 そうした精神性というのはどこから来るのだろうか。旧約聖書の創世記で人は神の「かたち」に似せて造られたと述べられています。神に似ているということですが。人が創造されるときに、「神の息」を吹き込んで人は生きる者となったと言われています。これによると人は霊的な存在ということです。神と交わりを持ちながら、即ち神を礼拝しながら生きていく者です。その神から、世界を創造した神から人間に対して、この地を治めるようにと命じられました。ですから「働く」ということはこの地を治めるということになります。ではどのように治めていくのか、神の御旨を尋ねながらということです。その神の御旨を知るために私たちに聖書が与えられているのです。創世記の1章の終りで神は天地を創造して「見よ、それは極めて良かった」と語っています。今、この世界を見て果たしてそのように言えるだろうか。その御言葉を覚えつつ、「地を治める」働きを進めたいものです。
 教会のシンボルは十字架ですが、縦の線が神と私の交わり、礼拝といってもいいでしよう。横の線が人間と人間の関係、働くという事もその一つと言えます。ここで私が言いたいことは、人間として縦の線を持つと言う事です。自らの在り方、生き方を決めていくような思想がしっかりと持つ。そこで初めてそれを具体的に展開していく仕事というのもまた見えてくるのではないでしょうか。
 ついでに述べておきたいのですが、先に人は神の「かたち」に似せて造られたと書きました。すべての人はこの神の「かたち」をもっています。その意味で人は神の前に平等です。世の中は能力とか人種とかによって差別をしますが、神はそこを見ないで、ご自身の「かたち」に似せて造られた私たち一人一人を見て下さるのです。神の目に私たちは貴い存在なのです。その視点で自分を見、また他者もそのような目で見るのです。そこに新しい人の関係が生まれてくるのではないだろうか。
 ある青少年に関係するような雑誌を見て、少し感じたところから書き始めました。このようなことを少しずつ書きながら、様々なテーマを取り上げて、キリスト信仰の視点から述べて見たいと思っています。

投稿者: 日時: 2007年07月04日(水) 15:41