2011年09月のアーカイブ

オリジナルを求めて

 最近、興味深い本ですが、あまり売れないと思われる、蛭沼氏の「新約本文演習」という本が出ました。「新約本文のパピルス」全三巻が代表作です。新約本文研究の金字塔と言われている書物です。蛭沼氏は、1914年~2001年の人です。無教会の塚本虎二の丸の内集会にでておられ、塚本虎二から“聖書は本文に沿った読むものである、ドクマ的に読んではならない”と教えられて、新約本文研究に、文献学的研究に邁進したといいます。しかし、長い間、関学で教鞭をとられるのですが、文学部に籍を置かれていて、ほとんど新約本文について大学で講じることはなかったといいます。世界的に知られた研究者だけに残念といわなければならないでしようが、定年後、神学研究科の非常勤講師として勤められて、原典研究について講じられたといいます。ですから蛭沼氏には後継者がおられないので、この分野での日本の研究者は、蛭沼氏に並ぶ者はいまだにいないということのようです。

 「新約本文学演習」というのは、新約聖書にはたくさんの写本が残っていまして、その様々な写本が示している「読み」を比較して、どの読みがより古いものであるかを、判断することにあります。この作業を通して、既に失われている「原文」の読みを、仮説的に再構成をすることが、この研究の第一の目標です。そのためには写本から研究しなければならないことになります。写本を読み込み、整理して、校合のための素材を整えるのです。複雑で地道な研究になります。この研究があればこそ、私たちはこうして聖書を手にして読むことが出来ているのです。

 よく説教者は、このような研究を“無味乾燥なものだ”と批判をしますが、説教そのものも、この研究の上に成り立っていると言えます。本当に説教者が読まなければならない書物だと思います。しかし、なかなか読みこなせる本ではありません。私などは、写本つにいてそれほど深い知識があるわけではありませんので、本文そのものについて極めることはできませんが、でも、よりオリジナルものを求めて、御言葉を伝えていく、その誠実さを忘れないようにしたいものです。その誠実な姿勢が、次の世代へと御言葉を正しく伝えていくことに繋がるのではないかと思います。

 蛭沼氏の研究の成果は書物として出版され、多くの人々に読まれて行かなければならないと思わされます。小生も買い求めて、読んでみるのですが、写本そのものについては余り知らないのですが、本文が比較され、検討されているのを見ると、聖書の深みを思わされ、塚本虎二は、“dogmatisch”に読んではいけないと言ったそうだが、何か想像を掻き立てられるような気がします。

 話は変わりますが、8月の末に保護司会の研修旅行の帰りに白川郷の合掌造りの村を観光しました。観光客の皆が訪ねると思われる、重要文化財に指定されている“和田家”を訪ねました。無論、入場料は300円は取られましたが。江戸初期の建物が今に伝えられているのです。この村は、人々が生活をしているのです。生活をしながら文化財を維持しているのです。勝手に想像するのですが、国か県から補助金は出るでしょうけれども、維持するのは大変だろうと思います。またそれが観光収入となり、地域の活性化へと繋がるのかも知れませんが。ともかくも次の世代へと伝えて行かなければならない文化財だと思います。

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 このような風景を見ると何かホッとするものがあります。日本人の原風景なのかも知れません。先の新約本文学研究は、地道な研究ですが、人間の救い、永遠の命がそこにある御言葉である。私たちが究極的に憩いの場が示されている。それは神の国の原風景と言えるのかも知れません。それを求めての真摯な取り組みである。余り省みられない陰の努力である。人はそのうわべだけを楽しもうとする。

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投稿者: 日時: 00:06 |